架神のカレー日記03.8前半
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2003年8月15日
カレーなし

 朝は寝過ごしたので、朝食が食べれず、炊いたコメだけ持って仕事へ行った。外は嫌がらせのような強い雨が降っていた。

 今日は寒かった。八月の半ばに長袖を着て震えることになるとは想像もしていなかった。さらに、雨の中自転車に乗っていたため、袖とズボンはずぶ濡れになっており、これが肌にべったりとくっつき、嫌らしく体温を奪う。服が乾くまで、午前中はぶるぶる震えながら仕事をしていた。私がこんなに苦しんでいるのに、職場は呑気に冷房などかけていた。腹が立ったので、全部止めてやった。無断で。
 今日はお盆ゆえ、出社すると2000円ボーナスが出るという。そして、いま、身体が冷えている。このままでは風邪をぶり返しそうな勢いだ。ここは、カネをケチるべきではない。私は豪華な昼食を摂ることに決め、オリジン弁当300円相当のお惣菜を買い、さらに小さいカップラーメンを買った。それと、家から持ってきたコメで朝食兼昼食をお腹いっぱい食べた。
 美味しく贅沢な惣菜と、暖かいカップラーメンを食べて、私は幾ばくか身体を暖めた。だが、贅沢な昼食は私の身体を暖めるだけに留まらず、猛烈な眠気という反作用をもたらした。夜早く寝ている上に今朝は寝過ごした私だが、それだけの睡眠時間を取っていても眠気は律儀に襲ってくる。眠気に襲われると、幼稚園児レベルの教育ソフトですら手に負えなくなる。昼に眠くなるとは、人間は何と不便な生き物なのだろう。

 帰って、夕食にインスタントの鳥雑炊を作って食べた。食べながら、地上波の映画「灰暗い水の底から」を見たが、とても怖くて、柄にも無く「ヒィー」とか言いながら見ていた。どのくらい怖かったかといえば、CM中にメールを2本も送ってしまったくらいだ。

2003年8月14日
カレーなし

 マグロを入れた味噌煮込みうどんを作って、食べた。それから仕事へ行った。

 仕事は、今日から3日間とても眠たい業務を仰せつかっており、昨日はそれもあって早く床に着いたのだが、それでもやはり眠かった。瞳こそ閉じていないものの頭は完全に呆けており、胡乱な意識のまま、ふらふらと仕事をしていた。
 今はいつものPC班を離れて、他のところで仕事をしているが、終わり際、そこの上司の人から「キミは報告書をしっかり書く人だね」と言われた。だが、それはまったくの誤解なので、私は正直に「誤解です。単に時間が潰れるからだらだらと書いているだけです」と言った。我ながら自分の性格はどうかと思う。こんな性格では絶対に普通の会社勤めはできないだろう。就職しなくて本当に良かった。その点、私は本当に賢明だった。

 帰りに地元のゲーセンでセイヴァー2でもしようかと寄ってみたが、セイヴァー2はあっさりと姿を消していた。仕方がない。こんな場末のゲーセンにあんなレトロゲームを置いていても、インカムはたかが知れている。遅かれ早かれ無くなるとは思っていたが、それにしても想像より大分早い退場だった。
 セイヴァー2の代わりに、そこには「SVC CHAOS」とかいう、新作らしき格闘ゲームがあった。どうやら、「CAPCOM VS SNK」系の作品らしい。この手の作品ではヴァンパイアキャラは常に肩身が狭く、参戦キャラは少ない上に能力は極めて弱体化されている。まあ、それも仕方が無いことで、ヴァンパイアキャラがセイヴァーのままの性能だと、おそらく他のゲームキャラでは勝てないのだろう。
 「SVC CHAOS」では、デミトリが使えたので、それを使ってみた。アーケードゲームは基本的にカネを費やさねばクリアーできないように出来ている。初めて見るガード不能攻撃など、どんなに発生が遅くてもかわしようがないわけで、そこらへんを一通りボコスカと食らいながらも、最近のCPU難易度は良心的なこともあり、5人目か6人目くらいまでは行けた。

 さらに、帰りにカメレオンクラブという中古ゲーム屋を久しぶりに覗くと、中古のサターンソフトが大量に放出されており、そこで「ゴジラ」「学校の怪談」を見つけた私はそれらを購入してしまった。「ゴジラ」380円「学校の怪談」180円である。どちらもサターン初期の作品であり、私が現役高校生の時分、サターンなど所持していなかった頃、欲しかったソフトだ。私がサターンを手に入れた時にはそれらの作品はさっぱり流通しておらず、これまで入手できなかったのだが、それを今日安価で発見したわけだ。
 「学校の怪談」劇場版が好きだった。2や3は凡作だが、少なくとも1は良く出来ていたと思う。決して傑作というわけでは無いが、まったくの子供騙しでもない。劇場版「エコエコアザラク」の一作目くらいのクオリティはあったと思う。というわけで、これがゲーム化した際、私はかなり惹かれていたのだが、このゲームは発売早々クソゲーの烙印を押され、価格は急激に下落した。
 一方の「ゴジラ」は駄作とまでは言われていなかった気がする。確か内容は、日本の自衛隊を操ってゴジラなど怪獣を迎撃するというものだったはずだ。私は弱っちぃ人々が知恵と武器と消耗戦で強大な敵を倒すというシチュエーションが大好きで、映画ゴジラシリーズも、怪獣同士の戦いには余り興味を持てないものの、怪獣対人間の戦いは大好きだ。その意味では、平成ゴジラの中ではビオランテが一番良いと思う。
 しかし、何と言ってもこのソフト。値段が380円だ。今日に至るまで中古ショップでこのゲームを見かけなかったことからも、基本的には駄作なのだろう。どの程度酷い評価を受けているのか、家に帰ってネットで調べて見たところ、「マゾっ気のある忍耐強い人なら楽しめる」との評価を目にした。私なら何とかなりそうだ。

 これから、夕食に明太子スパを作ろうと思う。最近、夜11時まで夕食を待って、銀河英雄伝説を見ながら食べる習慣となっている。お腹が減った。

2003年8月13日
カレーなし

 明太子ごはん味噌汁を食べて仕事へ行った。

 今日はコンシューマー(ありていに言えばプレステ2)の仕事だった。管理職の方から「今日はキミの好きそうなゲームだよ」といわれたが、ギャルゲーだった。……誤解されている。
 どうも、その人はパソコンでゲームをする人間はすべからくエロゲーをしていると思っていたらしい。まったく、誤解も甚だしい。私なぞ、プライベートでギャルゲー・エロゲーなどほとんどしたことがない。「魁!メモリアル」くらいのものだ。
 また、今日は職場の会長(えらいひと)が私たちに差入れとして、オロナミンCカップラーメンを買ってきてくれた。どうせならもっといいものを差し入れてくれ、という気がしなくもないが、あまり良いものだと争いが起きそうだし、この程度で良いのかもしれない。

 夕食には豚肉タケノコピーマン炒め物を作ろうと思っていたが、スーパーには(半額の)肉がなかったため、仕方なく半額のマグロを買った。1パック100円だった。夕食はこれを焼いて食べようと思う。

 ベジータは大猿化しても戦闘服が破れなかったのが、いま見ると納得いかない。

2003年8月12日
朝:初イエローカリー

 昼頃起きて、カレーを食べながら、呑気にカルドセプトで遊んでいた。何もしないと決めた休日は心も身体も楽だ。

 夕方頃までカルドセプトで遊びながら、洗濯とか、掃除とかも平行して行った。カルドセプトをしながら、突然コントローラーを置き、ある程度洗濯などしたら、またゲームに戻るという、我ながら境目の分からない奇特な行動だったと思う。
 掃除は、キッチンの油汚れが看過できない程だったため、これを落としていた。思うに、人というものは現在進行形の汚れは、あまり気にならない。突然、汚い部屋を目の前に見せられれば、誰でも「汚い」と思うだろう。しかし、綺麗な部屋を自分で少しずつ汚していき、結果、汚くなった場合は、ある程度までその汚さを許容してしまう。
 だが、その許容も程度により、汚れがある一定レベルを超えると見過ごせなくなり、掃除することになる。これは、その許容できる程度に個人差があるだけで、一部の神経症の方を除き、誰もがそうだと思う。毎日、部屋をピカピカになるまで掃除しなければ気が済まない人でも、掃除を終えたその瞬間から、テーブルには埃が積もり、キーボードには手垢が付いているのだ。部屋の汚れというものは、病気を併発するほど不衛生で無い限りは、総じて主観的なものでしかない。
 また、汚れの観念も時代と共に変わってくる。例えば、より汚れを良く落とす洗剤が開発されたとしよう。その洗剤ができたことにより、これまでは落とすことのできなかった汚れが、落とすことのできる汚れへと変わり、その汚れを見るものの目にも「怠慢により落としていない汚れ」に見えてしまう。一昔前までは不衛生と考えられなかった汚れも、時代を経るに従い不衛生と見られるのだ。もしかしたら、100年後の世界では現代は信じられないくらい不潔な世界かもしれない。このように、汚れの観念は、時代的なものでもある。
 といっても、これは別に私の部屋が汚いことの自己弁護ではない。自分の部屋が常時汚いことは、私も自覚している。
 なお、仏教においては、掃除は果ての無い終わりなき行為であり、それゆえ大切な修行の一環だと聞いたことがある。自分の部屋さえ綺麗に保てない私には、悟りは啓けそうもない。
 
 あとは銀河英雄伝説を見たりした。知らないと何ら共感できないことは承知で書くが、オーベルシュタインが格好良くて仕方ない。私が高校生の時に思っていた「こういう人間になりたい!」というイメージ像そのままだ。その思いは基本的に今でも変わらないが、こういう人間には成れないことを、今では知っている。

 あと、ヴァイスクロイツグリーエンというアニメのOPイントロがすごく良くて、曲も良いのに、歌が酷すぎる。声優歌が巧い必要性は無いと思うが、あの曲に関しては、文化的損失とすら思ってしまう。イントロでの期待感が、歌が入ると同時に悉く苦笑へと変わる。

 夕食は適当に袋ラーメンとんこつ味を作って食べた。

2003年8月11日
夜:初イエローカリー

 朝から呑気にスパゲティを作っていたら、仕事に遅刻しそうになった。お茶を入れた水筒は、鞄に入れ忘れた。

 仕事中、ウトウトしていたら、夢に三島由紀夫が出てきて怒られた。夢の中の三島は褌だった。

 帰りにピーマンとか買って、イエロカリーを作った。鶏肉とか、ナスとか、ピーマンとか、タケノコとか入れた。カレー粉も適当に入れた。バイマクルーもたくさん入れた。バイマクルーの入れすぎでカレーは少し青臭くなった。でも、それ抜きで考えても、イエローよりはグリーンやレッドの方が美味しいと思う。

2003年8月10日
カレーなし

 何をしたか良く思い出せない。カレーは食べてないと思う。仕事に行った。暑いから、明日から水筒を持参しようと思った。

2003年8月9日
朝:ラム肉のレッドカリー(終了)

 今朝は5時に起きた。言うまでもない。昨日の夜、不本意ながらも夜9時に寝て(落ちて)しまったからだ。昨日は夜11時からケーブルテレビで銀河英雄伝説をやっていて、すごく楽しみにしていたのに見れなかった。なんてことだ。
 実際は5時まで寝っぱなしだったわけではない。記憶にあるだけでも3回は目を覚ました。いずれも暑くて目を覚ましたのだ。とても不快だった。扇風機を30分で切れるようにセットして、再び眠りに就くが、1時間もすればやはり暑さで目が覚めてしまう。最後にはタイマーを使わなかった。すると、5時までは目が覚めなかった。タイマーなどという惰弱な考えが良くなかったのだろう。

 早起きは三文の得というが、実際には何か意味があるとは思えない。いつも家を出る時刻の8時半まで、昨日の日記を書いたり、シャワーを浴びたり、カレーを食べたりしていたが、その3時間半はずっとうつらうつらとしたままで、動きに精細を欠いていた。とても非効率だった。
 また、朝早く起きたからといって、別に仕事に身が入るわけでもない。今日も仕事中は眠くて困った。朝7時まで寝ていれば、少なくとも就労中に眠気を感じることはなかったかもしれないが、しかし、10時間も睡眠を取るのは、それはそれで癪だ。

 仕事の行き帰りは電車の中で京極を読んでいた。京極を読むために電車に乗り、電車に乗るために仕事へ行っていると考えれば、少しだけ仕事へ行くのが楽な気分になる。

 家に帰ったが、あまり食欲がなく、料理をするのも面倒くさかったので、親から送られてきたインスタントリゾットを食べた。あまり美味しいものではなかった。

 食後、カルドセプトをしたり、銀河英雄伝説を見たりしていた。


2003年8月8日
朝:ラム肉のレッドカリー

 カレーを食べた。それから、昨日の続きで「The男爵ディーノ」のHPをいじっていた。結局、他にもいろいろと直していたら、プチリニューアルしたかのようになってしまった。

 夕食はとんこつラーメンを作って、昨日貰った明太子明太子ごはんを作った。とても美味しかった。

 夕食を食べた後、サターンで何となくカルドセプトをしていたら、座ったまま何時の間にか寝ていた。たぶん夜9時頃だったと思う。

2003年8月7日
カレーなし

 早く起きてドラゴンボールZ再放送を見るつもりだったが、寝過ごしてしまい、ナッパの死に際を見れなかった。結局、昼頃起きた私は、玉子やらタマネギやらを入れた味噌煮込みうどんを作り食べた。8月に入ってから日差しは急激に強さを増し、外の陽気はまさに夏真っ盛りという感じだが、しかし、夏を感じれば感じるほど、クーラーも付けないサウナのような部屋の中で味噌煮込みうどんをすすりたくなるのは私だけではないだろう。

 今日も不本意ながら仕事休みなので(休みはもちろん嬉しいが、しかし、働かなければ実家に帰って夏休みを過ごせない)、この休日を無駄に過ごしてはならない、何か作らないと、作って未来のカネに変えないと。そう気持ちばかりは焦るが、部屋が暑すぎるのか、それとも単に私が怠惰なのか、どうにもやる気が起こらない。
 
 そんなとき、私が高校生の時分に使っていた、自分を騙すためのテクニックを思い出した。私は高校の頃は、大体、部活の後3〜6時間程勉強していた。だが、それは決して私の精神力が強靭だったわけではない。幾ら何でも、毎日それだけ自分を律することは不可能だ。毎日やる気に溢れているわけでは無い。勉強したくない日もある。そのときに使っていたテクニックを思い出したのだ。
 それは、とにかく「〜〜時間勉強をした」という事実だけを作り、内容を省みないことだ。やる気がないと言っても、音楽でも聞きながら、適当に漢字を書いたり、英単語のスペルを綴ってみたり、その程度のことはできる。頭はほとんど動かさず、とりあえず手だけ動かしてみる。肝心な頭の方は、音楽を聴いたりラジオを聴いたりで、ほとんど勉強にはなっていないのだが、それでもゼロよりは幾分マシだろう。
 そして、実際に重要なのは、「何が頭に入ったか」ではなく、「何時間勉強したか」という「事実」だ。どうも、私は惰性的な継続をすることは出来る人間だ。この日記もそうだ。毎日書き続けている限りは、おそらくいつまでも書き続けるだろう。しかし、もし1週間に3日だけ書く、という決まりにしてしまえば、絶対に続かない。1週間のうち3日だけ日記を書くのは、毎日日記を書くことより絶対に難しいのだ。勉強も同じで、毎日ウン時間という決まりが重要だ。ウン時間の決まりさえ遵守していれば、大きく崩れることは無い。無駄になった時間も多いが、その無駄な時間によって、毎日の一定量の勉強時間を確保していたことになる。
 無論、短時間で集中して出来る人ならそれに越したことは無い。そういう人は一日2〜3時間程度の勉強で私と同程度に学習することが出来ただろう。しかし、私はそれほど強くは無かった。私のような凡夫は、そういった姑息なテクニックを使わなければ、己を律することが出来なかったのだ。不経済だが仕方がない。

 つまり、今の現状もそれと同じだ。やる気がないからといって、安易にゲームに走ってはいけない。確かに、やる気がなければクリエイティブな作業はできない。だが、やる気がなくとも、頭を働かせなくとも、できることはある。そう考えた私は、サイト「The 男爵ディーノ」のリンク集の整理を始めた。ゲームに走るよりは、若干でも意味のある作業だったはずだ。
 結局、リンク集の整理に手間取った私は、作業半ばで次の予定のため家を出ることになった。そのとき、ふと思い出した。「計画グレシャムの法則」を。この場合、厳密には意味が違うが、本質的なことは違わない。つまり、いちばん大切なことには私は結局手を触れることが出来なかったのだ。私の用いたテクニックは、「どうでもいい些事」を以って「本質的なこと」への弾みをつけることだが、受験勉強のときとは違い、「本質的なこと」は壁が高い。そのうえ、今日取りかかった「どうでもいい些事」は思った以上に長引いて、明日にまで影響を及ぼしそうだ。高校の受験勉強と違い、明確な締め切りがないというのは、己を律する上で大変なデメリットだ。

 白鳥さんからお土産の明太子を貰うため渋谷へ向かった。普段ルーズな私にしては珍しく、待ち合わせの時間通りに渋谷へ着いたのだが、世の中そう都合良くは運ばない。私が今日たまたま時間通りだからといって相手もそうだとは限らないのだ。つまり、今日は白鳥さんが大幅に遅刻した。
他人にも自分にも甘い私は、人の遅刻はほとんど気にならない。白鳥さんが来るまで東急の地価食品売り場試食を漁っていた。ここは、ステーキとか試食できて、ちょっと信じられない豪勢さだった。総額400円分は食べた自信がある。

 1時間強遅れて来た白鳥さんと、屋根裏というライブハウスでRusHというバンドを見に行くが、時間になってしまったので、1曲見ただけで帰ることになってしまった。せっかくパスを出していただいたのに申し訳ない。

 私は急いで綾瀬に帰った。あきとさんと酒を呑む約束をしていたからだ。駅前にある庄やという居酒屋が、1500円酒と刺身(まぐろとかんぱち)が食べ放題・飲み放題というイベントを行っていて、そこでがつがつと刺身を食べた。10人前ほど刺身を食べて思ったことは、やはり刺身はがつがつ食べるものではなく、ちょびちょびと食べるものだということ。それと、刺身しか食べてなくても、意外と腹にたまるものだということ。

2003年8月6日
カレーなし

 朝食に納豆などを食べ、仕事へ行った。

 仕事の帰りに、玉子味噌うどんを買った。

 帰って、とろろそばを作った。茹でた蕎麦におろした山芋生卵わかめ刻み海苔を乗せて、をかけて食べた。蕎麦を食べながら、を呑んだ。

 京極夏彦の「魍魎の匣」を読み終わった。なんだか、すごかった。

 今日は何故か気力がないので、簡単に。

2003年8月5日
カレーなし

 朝食はツナパスタを作った。茹でたパスタを熱いうちにバターと絡め、その上にツナを落とし(ツナ缶は親から送られてきた)、醤油をかけて出来あがり。最初の一口は、醤油とバターが香ばしく美味しい気がしたが、味が平凡なのと、ツナとバターが油っこくて、後々辛くなった。微妙なメニューだ。

 日中はHP用に「スプートニク」についての書評を書いていた。予定では、この書評を書いた後、次の作品「山田、BANDやろうぜ」用の後書きを流用して書き上げるつもりだったが、この書評を書くのが思いの外難事業で、結局、これを書き上げるので一杯一杯だった。
 その場の感動というものは、やはり、後からどんなに理論的に説明しようとしても、完全に言い表すことはできず、それをあえて言明しようとすれば、非常に分かりにくい文章になってしまう。見神体験者の文章が、どれもこれも難解なのも当然だ。芸術作品に受けた感動を文章化するのでさえ難しいのに、神さまと同一化した体験など簡単に文章化できるものか。

 夕食は、タマネギと昨日の残りの牛肉を炒め、それと目玉焼きを乗せて、焼肉丼を作って食べた。(タマネギ焼き丼と言った方が正しいだろうが)

2003年8月4日
朝:ラム肉のグリーンカレー

 朝、シャワーを浴びた後、グリーンカレーを食べて、新宿へ行った。

 今日はスタジオだった。熱さのせいか起きた瞬間から疲れていて、家から出ることすら厭だった。スタジオの後は、さっさと帰りたかったが、ミーティングなどもあり、そういう訳にもいかなかった。金銭や時間を消耗している以上、自分がやりたいことはしっかりとアピールしなければならない。

 帰りにスーパーで、牛肉(半額で120円)か、お惣菜のヒレカツ(2枚が半額で100円)か、どちらを買うか迷った。最近、カルビクッパが食べたい気分だったので、牛肉が欲しい気がする。しかし、ヒレカツを買えば、カツ丼が作れる。非常に難しい、答えの無い二択問題だったが、私は最終的に牛肉を選んだ。朝炊いたコメが、カツ丼を作るには残り少なすぎたというのが決定打となった。

 クッパを作るといっても、たいしたことはしない。適当なものだ。まず、牛肉を軽く炒める。次に、コメにインスタントのワカメスープの素をかけ、湯を注ぐ。その上に、先ほど炒めた牛肉を乗せる。非常に手軽だ。母親に任せきりで、全く料理など手を付けなかった高校生の頃から、これだけは作っていた。

 クッパを食べながら、酒を呑んだ。携帯の電池が切れていたため、明日の仕事を逃してしまったようだ。

2003年8月3日
カレーなし

 昨日の残りの豚汁を食べて、仕事へ行った。

 帰って、ラーメンを作った。ニンジンタマネギバターで炒めて、インスタントの味噌ラーメンに入れるつもりだったが、とんこつ味しかなかったので、とんこつバターラーメンになった。悪くなかったが、やっぱりバターは味噌か塩だと思う。

 食事の後、カルドセプトをやったり、女神転生3をやったり、セイヴァーをしたりと、久しぶりにゆっくりゲームをした。

2003年8月2日
カレーなし

 今日も仕事。朝は納豆お味噌汁で食べた。いまだに夏風邪が治らず、相変わらず咳は出続ける。

 電車の中で京極夏彦を読んでいた。文庫本の癖に1000P近くある分厚い『魍魎の匣』だ。座席に座って、それを読んでいる途中、咳が出た。京極に赤い飛沫が散った。チッ、喀血か。そう思い、口の下あたりを触ってみる。血は付いていない。次に鼻の下あたりを触ってみる。血が付いていた。どうやらたまたま出かけた鼻血が、咳の弾みで飛んだだけらしい。喀血は格好良いけど、怖いから嫌だ。

 仕事の後、スーパーで豚肉を買った。当然、半額に値下げされたものだ。また、酒屋に寄り、しばらく切れたままだった日本酒を買った。私は咳が出ると、日本酒を舐めることでそれを押さえようとする。この行為が全く意味の無いものであることは重々承知しているが、それでも「効きそうな気がする」のだから仕方がない。

 夕食は、タマネギ、ニンジン、山芋、豚肉豚汁を作った。それを食べながら、コメを噛んだり、酒を呑んだりした。

2003年8月1日
カレーなし

 昨日の残りの山芋ごはんにかけて朝食とした。

 今日の仕事は、作業を遂行するのが仕事なのか、それとも退屈な作業から来る眠気に耐えるのが仕事なのか分からないほどだったが、まあ、何とか頑張った。

 仕事の後、森永さん目当てで月蝕歌劇団を見に行った。月蝕は去年見たとき、何がどう素晴らしいのかさっぱり分からず、あと10年くらい修行を積んでから見に行こうと思っていた。つまり、当分の間は行く気が無かった。
 にも関わらず、また懲りずに月蝕を見に行ったのは、先に述べたとおり、単純に森永さん目当てであり、最近、ファン心理というものを嫌というほど痛感する。

 月蝕は今回も相変わらず訳が分からなかった。今回も寺山修二の本を上演していたが、何が素晴らしいのか本当に理解できない。寺山修二は早稲田の偉大なる先輩なので、何とかその素晴らしさを理解したいのだが、私に感受性が欠けているのか、どうにもこうにも理解できない。
 ただ、気になったのは、全編通して、異常に印象が薄いことだ。最初から最後まで、話が全然頭に入ってこない。寺山修二の大切なポイントはここにあるのではないか、という気がする。決して皮肉ではなく、あれほど頭に入ってこない物は、何かを意図するものがあって、それゆえの結果ではないかと思う。思うが、全くの見当違いかもしれない。
 とにかく、私はまだ寺山修二を良いとも悪いとも言える地平に立っていないということだ。極めて逆説的な言明ではあるが、素晴らしさの理解できない寺山修二脚本は、内容の理解できる他の演劇よりも、それが未だに判断の下せない作品であると理解できる点において、他の演劇よりも相対的に優れていると理解できる。もっと、ありていに言うならば、私は演劇全般がどうしても面白いとは思えないのだ。だから、過去に見た面白いとは思えない演劇に比べれば、面白いのかどうかすら分からない寺山修二の脚本は、面白いと思えなかった作品たちよりは、現時点では上である、ということだ。面白いのかどうかすら分からない原因は、明らかに私の力量不足にあるからだ。
 とまあ、作品の内容はいろいろと置いておいて、劇中、森永さんがめがねをかけていたので、私は非常に満足した。

 その後、偶々(?)居あわせたザックスの店長さんにお酒を奢っていただいた。同席していた方々が揃って小食な方ばかりだったので、私はあさましくも肉ばかり頬張っていた。


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