2005年10月29〜30日
カレーなし
親戚一同と法事だった。
法事というのは、死者が個人の人格を失い、祖霊という集合的存在へと還元されていく宗教的過程の儀式なのだけど、今回は七回忌ということで、叔父もかなり祖霊になってたと思う。次の十三回忌には親戚はもう呼ばないらしいので、少なくとも私や父母にとってはほとんど祖霊になっちゃうはず。
それで、今回はせっかくの機会なので法事の様子を観察していた。浄土真宗のようだけど、お坊さんはまずあのイントネーションで、かつ、ですます調で分かりやすい話をする。話というかポエム。ここまでは何を言ってるのか分かるので、理解して聞いていられる。
次に、あの何言ってるのか良く分からない読経になる。読経の内容は対話形式らしいけど、とにかく意味が分からないのでしょうがない。この時間は聞いてる方もヒマになるからか、ご焼香を行うことになる。つまり、「何言ってるか分からなくてヒマ」であることを、ご焼香という身体的行為でカバーすることになる。この仕組みは巧く出来てるなあと思った。
そして、ご焼香が終わって、和尚の朗々とした声にも飽きてきた頃、あの良く知られた「な〜むあ〜みだ〜」が連呼されるので、聞いてる方も「あ、良く知ってるアレだ」ということで、少し集中力を取り戻す。で、そのわずかに取り戻した集中力が切れ掛かる辺りでちょうど読経が終わり、最後は和尚が噺家のようにペラペーラと喋って終了。
こういうことを言うとバチ当たりな気もするけれど、実際いちばん意味が分からなくていちばん退屈する読経の場面に、身体的行為を取り入れてカバーするという組み立て方には、何ていうか、お坊さんの思考錯誤を感じた。たぶん、何時の頃か「読経の時って、みんな集中力が切れて欠伸したり、ボーッとしてたりするんですよね。なんか良い方法はないもんかなー」「じゃあ、ここに焼香タイムを持って来ようよ」と、そんななやり取りがあったのではないだろうか。
あと、和尚さんの周りのグッズ(?)を見てたけど、何ていうのかな、机や椅子やタンス? 仏具っていうのかな? とにかくアレらだけど、ベースとなる色は黒(漆塗り?)で、縁取りは赤、アクセントとして緑を用いており、すごく秀逸な配色センスだと思った。あれがたくさん固まってると、とっても綺麗。
でも、いま検索してみたら、別に仏具の配色は一定じゃないみたい。単にモノによって違うのか、宗派によって違うのか分からないけど、もし後者だとしたら「浄土真宗の色使いイケてるよね」「日蓮マジセンス悪い、最悪」とか、お坊さんの間ではそんな会話が交わされてたりするのかな、と思った。
その後、親戚一同で箱根へ行った。ちょっと書くのがだるいので大切なことだけピックアップすると、従姉妹(小4と小2)の女の子に話を合わせようと思って、
「お兄ちゃんもぴちぴちピッチは毎週欠かさず見ていたよ」
と言ったら走って逃げられて、「ママー、髪の長い人怖いー、オタクー」と報告されたのがショッキングだった。
29日昼:サンドイッチなど
29日夜:温泉宿の豪華な夕食。船盛など。
30日朝:温泉宿のバイキング。朝から刺身とか。
30日昼:天ぷらそば
30日夜:中華街で中華。アワビとか。
とにかくたくさん食べた。
|
|
|