架神のカレー日記
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2003年5月15日
カレーなし

 いかん、だめだ。本当にだめだ。どうやら私は自分で考えていた以上に労働に対する耐性が備わっていないようだ。明かに情緒不安定になってきている。こうなってくると、無駄に過食したり、無駄に浪費したり、無駄に徹夜したくなったりする。今朝は突然サンドイッチを作った。明らかにおかしい。

 今日はずっと「家に帰りたい」だの「明日休みたい」だのブツブツ言いながら仕事していた。本当に良くクビにならないものだ。上司の心は海のように広い。しかし帰り際に「鏡さんががんばれる人じゃないことは良く分かっています。まあそれはそれとして、明日も出社お願いします」といわれた。ひ、ひどい・・・・・・。

 仕事の後、新宿でスタジオ。適当にがんばった。そのあと、カフェAYAでミーティングしながら牛丼セット(380円)を食べた。
 帰りにモアという新宿のゲーセンに寄った。エスプレイドのラスボス、ガラ婦人に残機3で挑んだが、第三形態で敢え無く死んだ。怒首領蜂大往生はどうにもこうにも3面が難しすぎると思う。それにしても今日はウソ避けの多い日だった。

2003年5月14日
カレーなし

 今日も仕事。まいったな・・・。

 帰りに自分を労わるべく120円惣菜パンを買う。だめだ、あんまり癒されない。

 8時に帰宅し、夕食は蕎麦を肴にを呑んだ。鶏肉が臭くなってて不味かった。鶏肉と言うものは腐りはしなくとも臭いが出るものらしい。蕎麦香りを楽しむ食べ物でもあるのに、鶏も蕎麦も無駄にした感じだ。憂鬱だ。

 9時からジャンプ感想をカリカリと書き綴り、書き終わったのが12時。急いでお風呂に入り、5分だけゲームした後、床入り。いかん、一日のゲーム時間が5分だなんて精神衛生上明らかに問題がある。

2003年5月13日
カレーなし

 朝起きるや否や「早く家に帰りたいなあ」と思いつつ始まった一日。朝から親子丼を作ることと、行きの電車でジャンプが読めることだけを糧に精神力を振りしぼり仕事へ。やっぱりダメだ。5日連続で働いた後1日しか休みがないなんて、私のようなダメ人間には耐えられない。週5日、6日コンスタントに働いている人間は同じ人類とは思えない。

 精力的とは言い難いが今日の仕事を終える。若干ノルマが残ってしまったが、法律的に言っても残業する義務は全く無いのでさっさと帰宅する。

 しかし、しばしば思うことだが、世の中の多くの人はみな辛い現実から目を逸らして生きている。そして私はそんな人たちを不健康だなあ、と思いながら見つめているのだが。
 彼らが現実逃避に使うよく聞く言葉は「働かざるもの食うべからず」だ。この意味は「働かないものは食べてはいけない」という意味であり、多くの人は「その通りだ」と思うだろう。だが、厳密に言うならばこのロジックには些かも正当性が無い。
 なぜ「働かざるもの」は「食ってはならない」のか。それは前提として「働かなければ食べるものが手に入らないから」である。この前提には説得力があるが、しかし、裏返せばこういうこともいえる。「働かなくても食えるならば働く必要は無い」、と。ほとんどの人はこの前提と、裏返しの意味の存在を考えていないか、もしくは積極的に忘れようとさえしている。そして盲目的な勤労をいかにも美徳であるかのように鼓舞している。このような精神状態を果たして健康といえるのであろうか?
 もしその人にとって、労働というファクターが人生におけるマイナス要因でしか無いならば、その人は「勤労は美徳」などという不健康な考えで自分を誤魔化すべきではない。可能な限り労働を忌み嫌い、「どうすれば働かずとも食っていけるか」を考えるべきだ。「スラムダンク」という偉大な漫画のキャラクター安西先生もこういっている。「諦めたら、そこで終了だよ」と。私たちは「勤労は美徳」と考えた時点で、人生におけるマイナス要因である「労働」を回避する機会を永遠に失ってしまうのだ。
 実際に労働が回避できるかどうかはまた別の問題だ。だが、私たちは少なくとも「勤労は美徳」「働かざるもの食うべからず」などという自暴自棄な考えに陥ってはならない。労働は死なない癌だ。とても苦しいが、直接死には結びつかない。しかし、死なないならば癌になってもいい、と思う人などいないだろう。私たちは根本的治癒を望むべきである。
 というわけで、私は今日一日中「仕事は嫌だなあ」と思い続けた。だが、これは実際のところ、とても健康的な思考法であり、むしろ人に誇るべきである。

 家に帰って夕食にナスとレタスと鶏肉とマイタケの炒め物を作った。香りつけにチーズペパーミントニンニク日本酒醤油を使ったため、いろんな香りが混ざりすぎて良く分からないものになった。でも不味くは無かった。

 なお、上記の仕事に関するテキストであるが、これには留保がある。現代の大量消費社会大量生産が前提となっていることは否めないということだ。大量生産、つまりは多くの労働力である。現在の豊かな生活は、人々の絶え間無い勤労により保たれているのだ。
 というわけで、私は働きたくないけれど、みなさんは定年などといわず死ぬまで勤労してください。勤労は美徳です。働かざるもの食うべからずです。

2003年5月12日
朝:レッドカリー

 デバッガーらしく休日は一日中ゲームして過ごした。小学生の頃買った「忍者龍剣伝3」とかやってた。

 夕食は昨日スーパーの試食で食べたら美味しかった納豆蕎麦を作って食べた。蕎麦の上に納豆と茹でた鶏肉生卵を落とし、を呑みながら1時間半かけて食べた。低カロリーだが、1時間半かけて食べれば流石に満腹感が得られる。

 明日からまた仕事だ。嫌だなぁ・・・。

2003年5月11日
夜:レッドカリー

 今日も仕事。5連日勤労だ。いい加減疲れた。私のような社会不適応者に週5日も働かせるなんて、どうかしている。

 夕食はナスピーマンタケノコ鶏肉レッドカリーを作った。軽くペパーミントを加えたら、良い感じの清涼感が得られた。

 日曜洋画劇場の映画「X-MEN」は素晴らしい出来だった。久しぶりに手放しで賞賛できる映画を見た気がする。対立する両組織の行動動機やジレンマを、爽快感を損なわないギリギリのレベルで奥深く描き、決して単純な勧善懲悪にならないように気を遣っている。作り手の真摯な姿勢が良く感じられた。
 また、キャラクターの内面の葛藤を描く際に、バイザー無しでは調整できないサイクロプスの破壊光線や、敵味方関係なく触れたもの全てのエネルギーを奪うヒロインの能力など、「強大な力を持つが扱いきれない」危うさがミュータントという特異な存在の疎外感と巧くリンクしており、説得力のあるものだった。ダメな作品というものは、キャラクターの内面を全て言葉で語ろうとする。映画「X-MEN」では設定そのものがキャラクターを深く語っており、スピード感を損なうことなく見ることが出来る。演出がわざとらしくないから妙な反撥心も起きないし、私のようなひねくれ者でもごく普通に感情移入することが出来た。
 戦闘シーンも、アメコミ原作のハリウッド映画ということで映像の迫力だけで押すバカ映画のイメージが強いと思うが、この作品はそんなことは無い。X-MENの悪役ミュータントは、変身が出来るとか、舌が伸びるとか、野生の力を持っている、とか、主人公サイドに比べればしょぼい能力ばかりだが、それらを戦略に乗せて巧く有効活用している。ほとんどの場面でつっこみを許さない。私のようなひねくれ者でも、だ。

 まあ、とにかくそんな感じで素晴らしい映画だった。正直、『スパイダーマン』の5倍くらい面白かった(ライミ監督、ごめんなさい…)。
 あと、今日のアバレンジャーも素晴らしかった。本当にアバレンジャーは素晴らしい。素敵だ。今日の脚本を書いた人を尊敬したい。

2003年5月10日
カレーなし

 土曜だけど仕事。朝食を食べるには苦しい時間に起きてしまったため、おにぎりを作って職場へ。

 休憩中にオリジン弁当で適当におかずを買っておにぎりと食べる。230g程で350円ほど。唐揚げは1つ30gもあるので単価50円ととても高価なことが分かった。

 夕食は昨日衝動買いしてしまった「金のつけ麺」を食べた。とても美味しそうに見えたが、そんなに美味しく無かった。というか、やはり私にはつけ麺の存在必要性が理解できない。わざわざスープと麺を分けることに一体何の意味があるのだろうか。冷たい麺を温かいつけだれにつけることにより、つけだれの温度は冷めやすくなり、麺も冷たいようなぬるいようなハッキリしない感じになる。まるで温かいゴハンと冷たいカレーを混ぜると絶妙な味わいになると思いきや、実は単なるぬるいカレーになってしまう大塚食品の「冷やしカレー」のようだ。つけだれも、「つけだれだから飲んでいいのかなあ」という気分になって満腹感も得られないし、やっぱり良く分からない食べ物だ。誰か私につけ麺の素晴らしさを力説して下さい。

 「たけしのこんなはずでは」とかいう番組で、アイヒマンの話を見た。アイヒマンはナチスの親衛隊で、ユダヤ人大量殺戮の実務上の指揮官であったが、ドイツが敗北するとアルゼンチンへ逃げた。アイヒマンはドイツで偽名を使い、自動車工場で働きながら家族と慎ましく暮らしていたが、イスラエルの諜報機関モサドに誘拐され、イスラエル本国で裁判にかけられ刑死したという話だった。 
 番組の構成を見る限りでは、ただただアイヒマンが可哀相で同情を誘うものだったが、番組中ではアイヒマンに対する同情は全く見られなかった。また、ラストでアイヒマン夫人が「アイヒマンと出会ったことを後悔しただろう」という表現があったが、それまでの話の流れから判断するなら、これを論理的帰結と考えることは出来ない。正しく考えるならば、「こんな時代にアイヒマンと出会ったことを後悔しただろう」というところだろうか。
 こういった物語の飛躍や綻びは、一方的に思想を強要されているようで、見ていて非常に気持ちの悪いものだ。おそらく製作上のどこかで、一部の過激な方々に対する配慮が入り、このようなちぐはぐな作りになってしまったのだろう。そこからプロットを練り直さなかったのは視聴者をなめているとしか思えないが、しかし、サラリーを貰って延々とこんなものを書いていればそのうちやっつけ仕事にもなるのだろう。気持ちは分からなくも無い。

 とりあえず内容に目を向けるならば、私たちは大切な二つのことを読み取ることができる。まず第一は、世間から極悪人と見なされた大悪党であろうと、家庭に帰れば一人の「良き夫、良き父親」であるということだ。敷衍するなれば、敵に対して冷酷な人間も仲間や身内には情愛溢れる人間である可能性もあり、むしろその方がリアリティを持つということだ。もし貴方が小説やマンガを書こうとするときは、悪役に「身内には優しい」というファクターを付け加えることをお勧めする。
 もう一つは、彼の名を冠した有名な心理学の実験「アイヒマン実験」に見られる問題で、「人間は権力に弱い」ということだ。ナチスが恐ろしい戦争犯罪を犯したからといって、「ドイツ人は恐ろしい戦争犯罪を起こす遺伝子を備えている」と考えるのは、言うまでもなく間違いである。アイヒマンがナチス親衛隊に入ったのも、単に就職活動だった。アイヒマン自体に大量殺戮の遺伝子が備わってたわけではない。条件さえ揃うならば、誰しも同じような行いをする可能性があるということだ。もし貴方が小説やマンガを書こうとするときは、事務的に悪事を働く小悪人を一人悪役に配備すれば、リアリティが増すだろう。

2003年5月9日
カレーなし

 朝はマグロを焼いて食べた。

 今日も仕事へ行った。すごくつまらない単純作業だったが、前にも書いたとおり、私は単純作業をより効率化することをそれなりに楽しむことができるので、さほど苦にはならなかった。

 帰ってチキンラーメンを食べながら、「ドラゴンボール」を見ていた。いま3回目の天下一武道会でクリリンとマジュニアが戦っているのだけど、クリリンがとても強くてカッコ良かった。そして、ヤムチャのいわゆるヤムチャ化現象(※1)が、もうこの時期には慢性化しているのが目立った。それにしても、この頃のドラゴンボールは面白い。

 (※1)ヤムチャ化現象・・・初登場時はとても強くて主人公のライバル視されていたキャラクターが戦闘力インフレに乗り遅れ、どんどん弱く、ヘボくなっていく現象。最近ではジャンプの「ウルトラレッド」に顕著。

 ところで、今週から週刊少年チャンピオンで「エリートヤンキー三郎」の作者、阿部秀司先生による「番長連合」というマンガが始まった。阿部秀司先生の作品ということで、嫌が応にも期待せざるを得ないのだが、十分に期待に応える作品だった。これでチャンピオンを(立ち読みで)読む楽しみが増えたというものだ。
 しかし、第一話のクオリティとは裏腹に、この作品は驚くほど騒がれていない。なぜ世間ではこれほど冷ややかな評価を受けているのか、私にはいま一つ納得できない。凡百な作品だった、という人もいるが、これほど特異な漫画のどこがどう凡百なのだろうか。この作品の魅力はいまいち説明し辛いのだが、私の眼力が確かならば「天使な小生意気」に似た魅力のある、それでいて、組織管理に関する知的なシミュレーション要素も併せ持つ漫画に展開していくはずだ。今週のクオリティは今後を期待させるに十分な物だったと断言しよう。

 しかし、それにしても世間の評価が低すぎるので、私の見る目が無いのかとちょっと不安になったりもする・・・。


2003年5月8日
カレーなし

 仕事に行った。帰ってゲームしようと思っていたら、実用化できるのかどうか非常に疑わしいアイデアが閃き、そのことをずっと考えていたらゲームするヒマがなかった。夕食はマグロの冷やし中華を食べた。豪華な夕食のように思われるだろうが、単価は50円ほどである。

2003年5月7日
カレーなし

 仕事に行った。帰ってゲームしようと思っていたら、スタジオがあることを思い出した。スタジオの帰りに「壁の穴」「納豆・新香スパ」(300円)を食べた。微妙な味だが決して不味くはなかった。

2003年5月7日
カレーなし

 仕事に行った。帰ってゲームしようと思っていたら、スタジオがあることを思い出した。スタジオの帰りにに「壁の穴」で「納豆・新香スパ」(300円)を食べた。

2003年5月6日
朝:カレースパ(甘口カレー/終了)

 今日は正直何をやっていたのか良く分からない一日で、とりあえず洗濯はしたのだけど、あとはいろいろ書いたりしてたら終わった。

 朝はカレースパを食べて、夕食は味噌バターラーメンを食べた。今日はゲームもほとんどしてない。本当に何してたんだろう。

2003年5月5日
カレーなし

 朝6時に起きて7時に家を出る予定だったが、起きたら7時だった。私はたとえ結婚式当日でも寝坊するような人間だと思った。

 なぜ、今日の遅刻がそれほど許されざるものかと言えば、今日はバンド映像作品を撮る日だからである。そして、遅刻をした者は強制的に映像の被写体(モデル)にされるのだ。今日の撮影は内容が内容だけに、モデルになれば激しい精神的・肉体的苦痛を味わうことになる。絶対にモデルはごめんだ。しかし、それは皆同じことだ。やつらが遅刻をするわけがない。遅刻をすれば間違いなく私がモデルにされてしまうだろう。

 集合場所の原宿には何とかギリギリ間に合った。危うかった、メンバーは時報まで用意して私の遅刻を確認しようとしていた。こいつら、1秒でも遅れたならば、容赦なく私をモデルにしただろう。恐ろしい。だが、もし私が先に着いていたら彼らと同じことをするつもりだったので、文句は言えない。とにかく、それほど皆モデルになることを恐れていたのだ。

 メンバーが揃ったところで、モデルを決めるべく、トランプを取り出す。このトランプは私が持ってきたもので、袋に入ったままの新品だ。正直いうと行きの電車の中でトランプに細工をして目印を付けようかどうか悩んだ。それほどモデルになるのが恐ろしかったのだ。さすがにそれは良心が咎めてやめておいたのだが・・・。
 メンバーは私が思っていた以上に用心深かった。彼らは私が全く同じ柄のトランプのスペアを持っている可能性まで考えていたらしい。おそらくトランプが新品でなければ一枚一枚トランプを確認し、汚れなどがあればその使用を認めなかっただろう。とにかく、それほどの厳重さだったのだ。
 どうやっても不正の出来ない選出方法を決めた私たちは意を決してトランプを引いた。3枚のうち、ジョーカーが出た者がモデルだ。いつもは人より運の良い私だが・・・・・・今日はツイていなかったらしい。

 ネタバレになるので、あまり詳しくは語れないが、とにかく大変な6時間だった。なんでこんなことをしなきゃならないんだ、という思いが強かったが、良く考えたら言い出しっぺ自分だった。しかし辛かったことは辛かったが、人からアイスを貰ったり、柏餅を貰ったり、扇子であおいで貰ったり、日傘をさしてもらったりと、いろいろと励まして頂き、人の温かさを感じることもできた。最後には多くのギャラリーに囲まれ、惜しみない拍手や記念撮影、ねぎらいの言葉などを頂いた。終わってみれば、GWの過ごし方としては悪くなかったかもしれない(と、思いたい。本当に)。

 そのあと、新宿ミーティングというライブイベントを見に新宿のLOFTというライブハウスへ行った。新宿ミーティングは私も一応応募したのだが、私が落ちたのは当然といっていい内容だった。応募要項には確か「既存のジャンルにとらわれないバンド」といったことが書かれていたが、実際に出ていたバンドは別にそんな変わった人たちではなく、普通のバンドばかりだった。どうやら新宿ミーティング的には「既存のジャンルにとらわれないバンド」というのは、「YMO」とかその辺りのことをいうらしい。てっきり、「楽器を使わない」とか「そもそも音楽をやる気がない」とか、そのレベルの人が出てくると思っていたのに、残念だ。イベントの趣旨に適ったバンドは司会のエーツーだけだった。結局、知り合いだけか・・・。

 イベントの趣旨が期待外れだったことは残念だったが、それはそれとして、出ていたバンドはなかなか高レベルだったと思う。特に私は「フジファブリック」というバンドが気に入った。彼らの音楽性を分かりやすく喩えるならば「ROUNDABOUT」みたいな曲ばかり作ってる「YES」といった感じだ(この説明は分かりやすいのだろうか・・・)。とにかく、小難しいくせに爽快感のある音楽だった。
 私は彼らの演奏はかなりのグルーヴがあり、相当巧いと感じたのだが、去年の新宿ミーティングのバンド紹介には、こう書かれていた。

>> 決して 上手くはないけどどこか親しみやすい演奏、グルーヴ感は私達の心をくすぐる

 いまいち理解に苦しむ文章だ。演奏が巧い=グルーヴが出せる、ことだと私は認識しているが、私の理解が間違っているのだろうか。少なくとも、演奏がヘタな人にはどうやってもグルーヴは出せないと思うのだが。

2003年5月4日
カレーなし

 今日は本当は予定があって仕事を休みにしていたのだが、その予定に参加できなくなってしまったので部屋でぼんやりとゲームとかしていた。
 
 あと、昨日の件で怖くなったので部屋の掃除をした。夕食にはマグロ(50円)を食べた。

2003年5月3日
カレーなし

 昼ごろ、宅八郎さんの家を辞し、家に帰る。帰ってゲームをしたり、夕食にプレーンスパを作って食べたりしていた。ここまでは、まったく普通のよくある休日だった。そう、ここまでは。

 12時をまわったころだろうか。私が呑気にゲームをしていたら、何か上からポトリと黒いものが落ちてきた。それも、私の腕の上に。そのとき、頭脳は瞬時にその可能性を割り出していたが、同じ位の演算力で持って、別のありうる可能性全てを検証し終えていた。その間、わずか1秒足らずであったろう。他の可能性全てを私の頭脳が否定したとき、声にならない悲鳴が部屋中に響いた。

 何なんだ。まったく、いったい何なんだ。100歩譲って、100歩譲って、家に出るのは良しとしよう(いや、全然良くないけど)。それだけならともかく、人様の腕の上に落ちてくるとは何事だ!?ふざけるな!!
 そのときの私は恐怖もさることながら、むしろ怒りが甚だしかった。あの虫ケラが一体誰を敵にまわしたのか、我々人類がいかに恐ろしく無慈悲な存在であるか、あの虫ケラに思い知らせてやらねばならない。
 私は恐怖に怯えながらも、左手にゴキジェット、右手にゴキパオを持ち、奴に対峙した。まず、やつが逃げ込んだと思われる周辺にゴキジェットを散布する。ゴキジェットのように即効性のない化学兵器を私は信用しない。ゴキジェットはあくまで最強物理兵器ゴキパオに繋げるための布石に過ぎない。
 ゴキジェットの散布に効果があったのかどうかは知らないが、付近のビニール袋の中からガサゴソという音が聞えてきた。間違いない。やつはそこにいる。
 ビニール袋の中へゴキジエットを吹き付ける。これでビニール袋の中で死んでくれればいちばん良いのだがそう簡単な相手ではない。やつはものすごいスピードで袋の外へと走り出した。くそッ、恐ろしい。だが、ここまでは計算通りだ。私は右手に持ったゴキパオをやつに向けた。

 相変わらずゴキパオの威力は素晴らしい。やつには全くクリーンヒットしなかったものの、軽くかすっただけで、やつの動きを完璧に止めた。そこへすかさずゴキパオを連続噴射。ピクピクと動いていたやつの動きが完璧に止まった。
 さて。ゴキパオは威力は素晴らしいものの、この兵器は後片付けが大変だ。とりあえず、やつ自身はダンボールの上で息絶えていたこともあり、比較的簡単に処理できた。だが、周りのケーブル類にくっついたゴキパオはまったく剥がれてはくれず、結局諦めた。仕方ない。やつを倒すことを考えれば、家具が少々汚れることなど気にしてはいられない。

 そのあと、お風呂に入って、腕を中心に念入りに洗った。

2003年5月2日
カレーなし

 朝食にチーズバタープレーンスパゲティを作ろうと思った。そう思って、冷蔵庫で最も単価価値の高い食材であるフィラデルフィアクリームチーズを開けてみたら、赤かったり黒かったりした。びっくりだ。私の知識ではチーズは味は落ちるものの、そうそう腐ることはなく、ましてや賞味期限内なら何の問題もなく食べられるはずだったのに・・・。泣く泣くチーズはゴミ箱へと葬った。

 もしやと思い貰い物の青カビチーズを見てみる。良かった、こちらは無事だ。青カビチーズは話の分かるやつだ。
 茹でたパスタチーズバターオリーブオイル塩・コショウを絡めて食べてみる。壁の穴プレーンスパゲティをイメージしたのだが、似ているが微妙に違う。まあ、まずくはなかった。

 さて。

 今日はここからがメインだ。今日は知人の知人の知人の紹介で、宅八郎さんの食卓に招待していただいたのだ。言うまでもなく、大物である。いつも以上に身なりを整え、威儀を正して家を出る。
 私は吝嗇ではあるが、守銭奴ではない。カネは使うべきときには惜しみなく使うものだと理解している。私は手土産にフルーツワインを2本選んだ。宅八郎さんにお会いするのに、この程度の出費は安いものだ。

 宅八郎さんの振舞ってくれた手料理はチゲ鍋だった。前日から寝ずにダシを取ったという。蓋をあけると強い磯の香りが鼻腔をくすぐる。スープはチゲ鍋らしく刺激的なものだが、ただ辛いだけの単純な味ではなく、数種の海産物による深い味わいがあった。勧められた白米をスープの中に入れると美味しい雑炊となる。具材もカニ・エビ・ブリ・アサリと豪華で、私たちの目を愉しませる。大変贅沢な食事を振舞っていただいた。

 宅八郎さんはお会いするまでは私もそう思っていたし、パブリックイメージとしてもそうだと思うが、とにかくサブカルチャーに異常に強いイメージがある。具体的に言えば、マンガ・アニメ・特撮・映画・フィギュアの話なら古今東西時代に関係なく、あまねく全てを網羅しているイメージだ。
 だが、実際に宅八郎さんと話をしてみると、全然そんなことはなかった。というか、まったくオタクではなく、普通にインテリジェンスな人だった。宅八郎さんは一般的にはサブカルチャーのカリスマアイドルであるが、それは宮崎事件の際に使用した一種のテクニックであり、その実際はメディア倫理に対する反骨精神溢れるパフォーマーだといえるだろう。
 話の中に出てきたのが、宅八郎さんの当時のマストアイテムというべきマジックハンドである。当時の文脈から考えると、有名な宮崎勤事件により、世間一般に「オタク=犯罪者」といった極めて極端な風潮が形成された。その風潮を作り出したのは言うまでもなくマスメディアであり、その直後に出現した宅八郎さんは、そういったマスメディアに対する警鐘であった。また、その批判行為を同じマスメディアの土壌で繰り広げたことが、たまらなくシニカルで知的だったわけだ。(もちろんそんな事情を当時小学生だった私は知る由もない)
 そのため宅八郎さんは意図的に宮崎勤との共通性を主張し、オタクの記号的アイテムを身につけ、キャラクターを形成した。だが、一般的なオタク像の中には明らかに見られないものがある。それがマジックハンドだ。マジックハンドなど実際に持ち歩いているオタクなどいない。にも関わらず、マジックハンドはオタクの記号として世間一般に(宅八郎というキャラクターごと)認知された。これはつまり、マジックハンドが実在の記号というより、むしろ象徴として機能したということであろう。宅八郎さんいわく、「後付けになるが、マジックハンドは他者との乖離を象徴しているといえる」とのことだ。ひきこもり=他者と関わらない=マジックハンド、という図式であろうか。いわば、このマジックハンドという象徴作用を持ってして、宅八郎さんはオタクのアイドルと成り得たのではなかろうか。つまり、実在のオタクではなく、オタクアイドルとなるためにはマジックハンドが必要だったのではないだろうか。
 このマジックハンドというアイテムを顧みるだけでも、確かに宅八郎さんが「オタクというキャラクターを演じていた」ことを推察できるはずではあったし、遠まわしではあるが、宅八郎さんの意図もその周辺にあったろう。。しかし、私も多くの人たちも、ほとんどそんな事実には気付いていなかったと思う。。いかにマスメディアによって作られるパブリックイメージが強烈なものか、とても勉強になった。

 その後も、話は主にメディアリテラシーに関するものとなり、私は正直その方面には弱いため、主に同行のメタリカ君が熱く議論していた。その間、私はメタリカ君が持ってきたお菓子を食べることに一生懸命で、そのうち食べすぎてお腹が痛くなってきたのでソファで横になっていたら寝てしまった。

2003年5月1日
夜:カレーうどん(甘口カレー使用)

 朝はもやし炒め目玉焼きを作ろうとしたが、迂闊にも焦がしてしまい、朝から苦々しい気分になった。

 職場でとてもいけめんでカッコイイ同僚(♂)に、いかにネクザールというシューティングゲームが素晴らしいか、PCエンジンCDロムロムがいかに完成度の高いハードかということを延々と説明された。私の職場はこんな人ばかりだ。

 帰ってカレーうどんを食べた後、2ちゃんねる黒猫スレッドではどのように重力を考えているのか、調査のため一通り読み流した。思ったよりも2ちゃんねるでは重力論議は盛り上がっていなかったが、こんなスレッドを発見して、ちょっと楽しかった。


>> 知欠先生が世間では冨樫なんぞに劣るという評価が理解できない
>> 冨樫なんて黒猫からアイディアやセリフまでパクりまくってるくせに・・・ >> 冨樫は巧妙で知欠先生からパクる際上手くアレンジしたりして元より良くなってるから許せん!!


>> もちろん霊ガンはレールガンのパクリですよね。

>> 何も名前までパクら無くてもいいのにねぇ。

>> 冨樫には参るよな・・・


>> 俺 盗作って マジ許せやン
>> 元ネタ考えた奴は頭振り絞って考えてるのに
>> それを劣化コピーするYは本気むかつく
>> Y!おめーだよ!!!!!
>>
>>
>>
>>
>>
>>
>>
>>
>> 義博!!!!!!!

 延々とこんな書きこみが続いており、私も矢吹信者になりたくなった程だ。
 なお、こういう趣旨のスレッドにも関わらず、以下のような一見趣旨に反したカキコミがなされることもある。

>> パクリだとか言う人しか2chにはいないと思ってたんで、なんか安心しました。
>> クリードが出てきたときに、他の漫画のパクリとか言われたときは本当に悲しかったから。
>> 理屈だけで漫画を読んでいる人が多くて……なんでそんな読み方するんでしょう。
>> 馬鹿にしてれば自分が偉くなったような気になるんでしょうけど、それってつまらないと思う
>> つまらないなら読まなければいいのに、と思ったりもします。
>> 科学的にどうとかっていうのは良くわかりませんが、重箱の隅をつつくようなことは良くないと思います。
>> リンスだけはちょっとキライだけど(汗

ここでは不必要に改行が入ってしまうため分かりづらいと思うが、こういう場合は行頭を上から下へ読むと良い。


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