架神のカレー日記03.4後半
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2003年4月30日
カレーなし

 今日はせっかくの休みだったが、昨日の夜は遅くまで重力の勉強をしていたため、起きたらだった。お風呂に入って、バンドのミーティングのため、新宿カフェAYAへ。牛丼とそばのセット(380円)を食べた後、なんとなくミーティングした。ミーティングの内容は「白装束の人たちの布ほしいねー。取りにいけないかなあ」「白装束はもうメジャーになりすぎましたよ。僕たちでああいう新しい団体を発掘すべきですよ」などというもので、音楽に関する話はほとんどしなかった。まあ、いつものことだ。

 その後、スタジオ。とても調子が良かった気がしたが何かの間違いで、開始15分でバテたあとはへろへろしていた。まあ、パンクだからこんなものだろう。

 それでいま、家に帰りついてシャワーを浴びて、そろそろ夕食豚肉ともやしの炒め物でも作って食べようかと思っている。その後は、重力に関してテキストをまとめなければならない。今日はゲームをするヒマはなさそうだ。ゲームをしないと休んだ気がしない。

 ところで、昨日書いた新聞の件だが、残念ながらクーリングオフをした場合は現状回復義務があるため、貰った景品類は基本的に返却しなければならないようだ。もちろん、クーリングオフをしながらも景品を返却せずに様子を伺い、返せといわれなければラッキーという手もあるが、お勧めできない。
 拡張員はよく「近所の挨拶で配ってるんですけどー」といって景品を渡してくる。実際にはこの景品は新聞契約の際に渡される付属品扱い(?)のため、契約をしないならば返せと言われる。昨日の私の件がまさにそうだ。だが、これは「挨拶で配っている」という拡張員の言葉がある以上、詐欺となる。詐欺による契約(この場合は無償で景品を渡す、ということ)は取り消すことができない(本当はタダであげたわけじゃないから返せ、といえない)ため、法律上、景品のみをせしめるには、この点を突くしかないだろう。
 しかし、新聞の拡張員は怖い人も多いので、無事に洗剤4箱をゲットできた昨日の戦果は初めてにしては上出来だったのかもしれない。

2003年4月29日
カレースパ(甘口カレー使用)

 朝は昨日の残りの豚汁を食べた。仕事に行った。帰った。

 家の前に不審なおじさんがいた。朝日新聞の勧誘らしい。いろいろと物をくれた。その後、新聞を取ってくれ、といってきた。もちろん新聞など断ったが、「じゃあ物を返せ」というので、迂闊にもほとんど返してしまった。しまった。
 突然の出来事で混乱していたのだろう。法律的に言っても、私に返す義務は全くなかったのだから。これはオレのものだ返すものかバカめ、の一点張りで良かったのに素直にほとんど返してしまった。もしくは、その場で契約だけして、すぐにクーリングオフしても良かった。ああ、失敗した。次こそ上手く出しぬきたいものだ。とりあえず、洗剤4箱だけは何とかキープしたのが救いか。リベンジしたいので、また来て欲しい。

 夕食はカレースパを作って食べた。今日はとてもショックなことがあったので憂鬱だ。
 というのは、今週の『ブラックキャット』の内容について、とても信頼している理系の後輩に物理学的見地からアドバイスを求めたら「そんな無駄な時間はない」と一蹴されてしまったのだ。
 私の中での彼のイメージは、くだらないこと、無駄なことに誰よりも率先して時間を割き、有り余る知力を不必要なことにばかり費やし、質問すれば聞いてもいないことまで自分の知識を披瀝する人間だった。そして私はそういう人間が大好きで、それゆえ心からの信頼を寄せていたのに、何時の間にか彼が「そんな無駄な時間はない」なんて、ごく真っ当な正常人の思考をするようになったのが残念でたまらない。大学を卒業して忙しくなったのだろうか。私は何歳になっても不必要でくだらないことだけを考えていけるように、忙しさは極力避けて生きていこうと改めて思った。

2003年4月28日
カレーなし

 朝からコロッケ豚肉を炒めたもの目玉焼きを食べた。たんぱく質がいっぱいだ。

 仕事に行った。

 夕食は豚汁を作って食べた。その後、ジャンプの感想を書いていたらとても遅くなった。

2003年4月27日
カレーなし

 昼頃起きて、うどんを作って食べた。今日はこれといって何もせず一日ぐうたらと過ごそうと思っていた。こういうときは計画的に行動できるようで、無事に一日中ゲームして過ごすことができた。
 つい最近、「ダンジョンキーパー2」というパソコンの洋ゲーを始めた。面白いことは面白いのだが、マウスオペレーションのリアルタイムシミュレーションはやっていると疲れる。たくさんのことを一度にいわれて、一生懸命処理しようとマウスをあっちやこっちに動かすのだが、小さな動きも要求されるため、肩が凝って仕方ない。楽しさより肉体的苦痛が大きくなったら素直にやめようと思う。

 夕食は豚肉を買ってしまったので、豚キムチを作って食べた。ついうっかり、明日の朝食用に牛肉コロッケ(45円)も買ってしまった。まあ、今月は結構働いているから(たぶん)良しとしよう。

2003年4月26日
朝:甘口カレー

 今日は浪費の激しい一日だった。

 まずは朝食にカレーを食べて仕事へ。ここまではいつも通りだ。だが、今日で労働が連続4日ということで、私は行きの電車の中から「早く家に帰りたい」という気持ちで一杯だった。

 そんな私が楽しく仕事に励めるわけがない。職場の雰囲気を考え、表には出さぬよう気を遣ってはいたが、私の「仕事いやだ」オーラが周りに漏れ出ぬわけがない。感化されたのだろうか、横で作業の指揮を撮っていた上司までが「眠い」「早く帰りたい」と口にしだした。
 いま私達に必要なものは、眼の前の報酬であった。そこで私は上司を誘って昼食を摂ることにした。私も上司も普段は昼食を食べないため、昼食は「自分へのご褒美」として機能しうる。私は良く分からないポテトとハムの調理パン(120円)を買った。

 この褒美により、若干機嫌を取り戻した私たちは、それからは仕事に(それなりに)励み、長かった7時間を真面目に勤務し終えた。私は、作業中あれだけ「家に帰りたい」と思っていたにも関わらず、いざ仕事が終わり明日が休みとなると、その開放感から新宿のゲーセンへ行きたくなった。
 当初の予定ではゲーセン「モア」にてエスプレイドを1コインだけ遊び、ビックカメラでCD製作に必要な幾らかの必要な買い物をした後、すぐさま家に帰る予定だったが、私のようなダメ人間がそんな禁欲的行動を取れるわけがない。日頃、吝嗇的生活に縛られている人間ほど、開放的になったときに散財してしまうものだ。江戸時代、収穫期に農民の米食を戒めた「慶安のお触書」もそれなりの意味があってのことなのだ。
 最初の間違いはゲーセンからだ。ついうっかりエスプレイド2回やってしまったあと、ついうっかりヴァンパイアセイヴァー3回も対戦してしまった。その後ビックカメラで必要な物を購入し終わると、時刻は早くも8時を回っていた。本当は早く地元駅に帰ってスーパーで安い魚でも買って夕食とするつもりだったのに、これではスーパーに間に合わない。やけになった私は、西新宿のラーメン屋「博多天神」ラーメン(500円)を食べた。

 話は唐突に変転するが、そこでラーメンを食べているとき、私は雷に打たれたかの如く、ある事柄を思い出した。それは、『民法 第95条〔錯誤〕 意思表示ハ法律行為ノ要素ニ錯誤アリタルトキハ無効トス但表意者ニ重大ナル過失アリタルトキハ表意者自ラ其無効ヲ主張スルコトヲ得ス』である。

 一年と2ヶ月前のことだ。私は普段滅多な事では怒らないが(心が広いとか、人間ができているわけではない。諸事に無関心なだけだ)、その時だけははらわたの煮え繰りかえるほどの怒りを覚えた。それは、「花の華 本郷店」というゴミのようなラーメン屋での話だ。
 そのラーメン店は味は普通値段も普通、まあ良くも悪くもない、普通のラーメン屋だった。そして、その店のカウンターには殻の剥かれていないゆで玉子が山のように盛られていた。この周りのラーメン屋では、サービスとしてゆで卵を無料でカウンターに置いてある店も多く、この店のゆで玉子も当然無料と思い、私は3つほど食べた。2つ食べたところで気持ち悪くなってきたが、せっかくタダなんだし、ここは栄養を取っておこうとムリしてまで3つ食べた。そしてお勘定。すると、あろうことか、この「花の華 本郷店」はゆで玉子代150円を請求するという、信じられない暴挙に出たのだ。
 
 私は、この店の暴力といってもいい突然の理不尽な支払い請求に我を失い、2、3言反論しただけで結局屈してお金を払ってしまっ。あのとき、どうして財布ごとオヤジの顔に投げつけ「くれてやらあ!とっとけ、どサンピンが!」と罵声を浴びせながら、思いっきりドアを蹴りつけこの店を後にすることができなかったのか、今になっても悔やまれて仕方がない。

 だが、先ほど思い出した民法95条「錯誤無効」を用いれば、法律的にもこの店のゆで玉子代の支払いを拒否できたのではなかろうか。民法95条はつまり、意思表示側(店)が「50円で玉子を売ろう」という意志があったにも関わらず、値札を付けずに置いてしまった場合(0円で売るという意思表示)、その値札を付けずに置いてしまった行為がうっかりミスであった場合は、その表示(0円で玉子を売る)を無効にできるというものである。だが、これは「意志表示側に重大な過失がないこと」という但し書きが付く。重大な過失とは、表意者の職業、行為の種類、目的などに応じ普通になすべき注意を著しく欠いたことである。つまり、ラーメン店が飲食物に対し、値札を付けずにカウンターへ置いた場合は、この「重大な過失」に当たると思われる。さらに、相手方(客)悪意がない場合(50円であることを本当に知らない場合)は無効を主張する(50円払え、という)こともできない。やはり、法律的に考えても、私はあの場合に150円を支払う必要はなかったのではないか。これは遡及訴訟の対象となるのだろうか、私の頭の中はこのことで一杯になり、もはや悠長に博多天神でラーメンなど食べている場合ではなかった。

 そして、家に帰って民法95条について色々と調べてみたが、非常に残念ながら、この件は私の言い分は認められそうにないという結論に達した。というのは、相手方(客)に本当に悪意がなかった(50円だということを知らなかった)ことを証明する必要があるからだ。つまり、この場合は私が「この玉子はサービスですよね?」と尋ねておく必要があったようだ。そうでないと、おそらくその点を突かれて負けてしまうだろう。「花の華 本郷店」は卑怯にも法律を巧みに操り、私から150円を合法的にぶん取りやがったのだ。クソッ、なんて非道なやつらだ。やっぱり、許せない。

 こうなった以上、私たちに残された手段は「花の華 本郷店」へ行き、「このコショーは一振り何円ですか!?」「この七味は一振り何円ですか!?」「この水は一杯何円ですか!?」「この割り箸は一本何円ですか!?」「この爪楊枝は一本何円ですか!?」、そして最後に「このゆで玉子は1個何円ですか!?」と、できるだけ店主の気分を害するように、大声で怒気に満ちた問答を浴びせ掛けることだろう。奴等が法律を盾に取り、私たち善良無垢な消費者から、あくどく金銭を巻き上げようとする以上、私たちも法律に則った、合法的な報復措置をするしかないだろう。

 だが、首尾良く「花の華 本郷店」を困らせ、店主を胃潰瘍にしたとしても、こちらも後味が悪いだろうし、なかなか実行する気にはなれないものだ(こういう自分の惰弱さが本当に嫌いだ)。結局、弱い立場にある私たち消費者は、こんな悪徳ラーメン屋はすぐに消費者の信用を失って、潰れて莫大な負債を抱えて、夜逃げ同然で田舎に逃げ帰ればいいんだ、と恨みのこもった念を送りつつ、無益に日々を過ごすしかない。もし私が何かの間違いで財閥の総裁とかになったら、まず「花の華 本郷店」を潰したいと思う

2003年4月25日
カレーなし

 朝食に昨日の残りの豚汁を食べて、仕事へ行く。どうでもいい話だが、私は15か16の頃まで豚汁を「ぶたじる」と読んでいた。それを周囲の人から「とんじる、だよ。ぶたじるはありえないね」といわれて、何か心に詰まるものもありながら、しぶしぶ「とんじる」と読んでいたのだが、どうやらこのような結果もあるらしい。これによると「ぶたじる」派少数派ではあるが確実に存在し、決して私一個の間違いというわけではなようだ。少し安心した。今度からは自信を持って「ぶたじる」と読むことにしたい。

 この日は労働連続3日目ということもあり、私の気力も体力もずいぶんと減退しており、昼前には「早く家に帰りたい」を心の中で連呼しながら仕事をするという、極めて士気の低い一日だった。だが、仕事が終わったからといってすぐに家に帰れるわけではない。
 
 仕事の後はスタジオ。前回のスタジオもそうだが、最近のスタジオは驚くほど真剣に音楽をしている。今日は主に「HIPHOPの人がやりそうな動き方」をみんなで研究していた。身を屈め中腰になり、背は猫背、指は親指・人差し指・中指をゆるやかに広げ、左手はマイクの尻尾を突き上げるように持ち、右手はリズムに合わせて軽やかに前後運動を繰り返せばHIPHOPっぽくなることが分かった。

 その後、代々木駅の裏にある「壁の穴」というスパゲティー屋100円プレーンスパゲティーをメンバー他二人と食べる。壁の穴は有名なグループ店だが、そのHPを見る限りどれもこれも高そうなメニューばかりが並んでいる。しかし、この代々木の裏にある「壁の穴」は、まず、ゲームセンターの中にあるし(アミューズメントパークではなく純粋なゲームセンター)、メニューも100円から食べられるプレーンスパゲティーなどリーズナブルなものが揃っていて、とても同じ系列のお店とは思えない。
 そこで店の主人に聞いてみたところ、(正直その説明は分かり辛かったが)懇切丁寧に店の成り立ちなどを説明してくれた。私の理解した範囲によると、「壁の穴」グループというのはやはりスパゲティーのグループとして存在しており、代々木店もその息の掛かった店ではあるが、それとは別に何かの会社(?)も関わっており、その会社がゲームセンターを主に運営する会社であるため、代々木店はゲームセンターの中に唐突に作られたらしい。代々木店の主人は元々渋谷の壁の穴で働いていたらしいが、代々木店で働いているのはどう考えても左遷されたとしか思えない。
 また、渋谷や新宿の「壁の穴」と比べ、ここ代々木店がリーズナブルな理由はにあるという。渋谷店などでは乾燥麺、つまり私たちが家で茹でたりする「マ・マー」のような麺を使っているが、代々木店では生麺を使っているという。生麺というと、どちらかといえばそちらの方が高級なイメージがあるが、パスタに関してはそうでもないらしい。生麺を使えば茹で上がるのは速いし、コストも押さえられるらしいが、乾燥麺と食べ比べると私達のような味の素人でもその差が分かるほどだという。

 まあ、そんな感じで家に帰って冷奴食べて寝た。

2003年4月24日
カレーなし

 朝、納豆玉子お味噌汁でごはんを食べて、仕事へ行った。仕事中、上司から半月程前に手掛けた仕事について、いくらかを受けたがほとんど忘れていて答えられなかった。なんでついこないだの事を覚えてないんだ、と呆れられたが、仕方がない。私はくだらない知識を覚えることで毎日精一杯で、仕事の役に立つような大切なことなど覚えている余裕は無いのだ。家に帰って、夕食は豚汁を作って食べた。

 困った。書くほどのことがない。やたら良い姿勢で自転車に乗ってる男子中学生を見たとか、ちょっとした発見は毎日のようにあるのだが、さすがにそんなことを書くのは憚られる。

2003年4月23日
カレーなし

 ジャンプ感想書いていたらすっかり遅くなったので、適当に書きます。すいません。

 仕事。久しぶりだったので寝過ごして朝食が食べれなかった。仕方なく昼に職場近くのオリジン弁当に行く。ひょっとしてオリジン弁当は弁当を頼むより、おかずを個々に買った方が安上がりではないのか?と思い試してみたが、そんなことはなかった。やっぱりオリジン弁当は好きになれない。せめてホカ弁が近くにできて欲しい。

 夕食は玉子タマネギと、それと奮発して買った豚肉うどんを作って食べた。食べながらドラゴンボールを最近見ているが、Z以前のドラゴンボールはZ以降とは比べ物にならないほど面白い。天津飯戦、ピッコロ大魔王戦と、非常にスピーディで展開に無駄が無く、あの丸っこい絵柄にも関わらず、この歳になっても見ていてハラハラできる。古さも全く感じない。この時代のドラゴンボールは本当に驚くほど面白い。

2003年4月22日
カレーなし

 朝食はざるそばを作って食べたが、流石に全然足りなかったので、お昼頃にどんべえを食べた。私の記憶が正しければ、どんべえは一時期熱湯3分になったのだが、また5分に戻ってしまった。推測だが、おそらくラーメンは3分、どんべえは5分というのが消費者の間で通念となってしまい、5分待ったら麺がのびた!とクレームが多数入ったから5分に戻したのではないだろうか。合理的な思考をするならば、熱湯3分の方が経済的なはずだが、論理だけで割りきれないのが世の中の難しいところだ。

 日中は布団を干したり、洗ったりして、夕食はさんまの蒲焼ごはんを食べた。ダメだ、ダメだと思いながらも新しいゲームに手を出した(ダンジョンキーパー2)。しかし、思ったほど面白くないので、楽しむために若干攻略サイトなどを読んで、楽しむための指針を見つけた方が良さそうだ。

2003年4月21日
朝:カレースパ(甘口カレー使用)

 ゆっくりと昼頃起きて、アバレンジャーを見ながらカレースパを食べた。30分通して真面目にアバレンジャーを見たのは初めてだったが、想像以上に素晴らしいクオリティだった。もしかして、戦隊シリーズ最高傑作かもしれない。

 昼は『怒首領蜂』という、嫌がらせのように敵弾の多いシューティングゲームクリアムービーを見たりした。このゲームは一般的に鬼のように難易度が高いとされているが、それでも1周目はまだ常識的な範囲の難しさであり、私のようなへっぽこでも練習を重ねればいつかはクリアーできる気がする。でも2周目は無理だ。製作者はエンディングをプレイヤーに見せる気がないんじゃないかと、そこまで思えてしまう。あれが自力クリアーできる人間は日本に100人くらいしかいないのではなかろうか。
 なお、続編である「怒首領蜂大往生」には、こんな意見も寄せられているが、それは間違いだ。確かに、怒首領蜂のように画面全体を弾幕が覆うシューティングを見ていると、シューティングは全てのゲームをクリアーしまくったゲーム仙人の慰み物のように見えるかもしれない。だが、実際やってみるとシューティングはそんなに凶悪なものではなく、反復練習と合理的思考で少しずつ前に進めるゲームである。シューティングとは脊髄反射の連続で進めていくゲームではなく、実際はパズル要素の強いシミュレーションゲームでもあるからだ。
 超人的な技術を持つ人は、確かに脊髄反射のみでクリアーできるだろう。では、常識的な技術しか持ち合わせず、敵の攻撃がかわせない人はどうすればいいか?ボム(有限の緊急回避手段)を使えばいい。問題は自分がかわせない個所が何箇所存在し、ボムが足りない場合は、どの個所をボム無しで攻略できるように練習するか、そこを自覚することだ。敵の戦力を把握し、作戦を立て、計画的に練習し、それを的確に進めていくことがシューティングゲームの醍醐味である。
 怒首領蜂においても、超人的な技術が必要になってくるのは2周目以降で、1周目はこれでクリアーできるはずだ(たぶん)。その意味で1周目は私のような下手なプレイヤーでも遊べるようになっており、怒首領蜂は初心者でもマニアでも遊べるゲームだと思う。
 シューティングに対する正しい理解を得たい方は、こちらに素晴らしいシューティングの解説ページがあるので一度御覧になって欲しい。シューティングが合理的な方法論を基盤とすること、敵弾はコンピューター処理によって飛んでくることなど、目から鱗の落ちる内容である。ここを通読すれば、シューティングは反射神経のみに依存する頭の悪いゲームではなく、極めて理知的・論理的なゲームであることを理解できると思う。

 夕食はサラダスパゲティーを作った。別にサラダスパゲティーが食べたかったわけではなく、具材がレタスしかなかっただけの話だ。茹でたパスタにオリーブオイルをからめ、上から生レタスかつお節ポテトチップスを乗せ、和風ドレッシングをかけて食べた。可も不可もない味だった。食べながら、「仮面ライダー555」を見たが、やはりアバレンジャーほど面白くは無かった。

 夕食の後はCDの量産をした。プリンターを変えてからビックリするほど作業効率が上がった。両面印刷をすると汚れがついてしまうのがネックだったが1時間程試行錯誤した後、解決した。

2003年4月20日
カレーなし

 アバレンジャーを見るため朝7時半に起きたが、あまりに眠いのでビデオに撮ることにして二度寝。次は9時半に起きてデジキャラットを見るつもりだったが起きれなかった。

 軽く昼食を摂った後、外出。今日の予定は高田馬場で友人達と麻雀に興じた後、同じく高田馬場で大学のサークルの新歓コンパにOB出席。綾瀬から馬場までは千代田線と山手線で乗り継ぐ。
 高田馬場に行く途中、山手線で生まれて初めて電車の切符を無くした。切符をなくした場合は電車賃の3倍を払わなければならないと聞いていたため、どうやって改札を突破しようかと悩んだが、実際は同額の切符を購入することで出してもらえた。それにしても、3倍とはいかないまでも2倍も電車賃を払わされるのか、厳しいものだ。

 高田馬場は学生街だけあって雀荘が安い。私達が入った店は学生料金1時間120円だった(社会人は200円)。私達はどうやって学生のフリをしようかと思案していたが店の方が勝手に「学生ですね」といってくれたので助かった。
 さて、今日のメンツを紹介しよう。

オープンリーチを多用し、勝敗よりも場を荒らすことを主眼とする混世雀士。
九印→理系らしく、計算高い合理的な麻雀を打つ。しかし、いかんせん運が悪すぎるので決して勝てない。
邪悪→私の身の回りで唯一サラリーマンとなった立派な人。無駄に運が強く、永遠のビギナーズラックを自称する。
たつを→今回の発起人。最近麻雀を覚えたらしく、ちょうどビギナーズラックも切れる頃。

 というわけで、このメンツで打っていたのだが、とても困った問題が起こった。全員点計算が出来なかったのだ。私も4年前ならいざ知らず、ブランクの長い今ではすっかり忘れてしまっているし、元雀荘店員の九印は「オレは店員の頃から点計算などできん!」と言い切っている。本当にそれで店員務まってたのか!?結局、点数に関しては合議制で決めることになった。もちろんレートは点1である(大負けしても1ゲーム500円くらい)。とても可愛らしい。
 とりあえずぺちぺちと打ってみる。みな牌を取った後、じっくり時間をかけて並べ直す。もちろん私もそうだ。どこから取ればいいのか一瞬迷ったあとツモをして、しばらく悩んでから捨てる。上がった場合は、4人で「これって8000点くらいかなあ」「いや、7500点くらいじゃないの?」「いや待て、7500って点数はなかったと思う。確か7700ならあった気がする」「うん、じゃあそれにしよう」そんな会話をしながら打っていた。とても平和だ。
 4時間かけて2ゲームを終え、両ゲームとも私が勝った。大体、電車賃と雀荘の使用料は元が取れた。

 その後、サークル新歓へ。OBにもなって新歓にのこのことお邪魔するのもためらわれたが、後輩達から強く誘われたのもあるし、何より人が集まる機会は自分のCDを売りつけるチャンスだ。
 宴会の場所は白木屋。今年は何だか新入生がたくさんいてビックリした。私の頃など1年生が5人も入れば諸手を挙げて喜んでいたくらいだが、今年はざっと見15人前後はいただろうか。早稲田は本当にサークルの数が多く、毎年大体400前後はサークルが存在する。基本的に少数乱立なので、これだけの数が集まるのは歴史も実績もない弱小サークルにしてはちょっとビックリすることだ。
 会費は2000円だった。一般的な学生の飲み会は3000円前後が基本なので、比較的安い部類には入る。だが、私にとっては決して気軽な金額ではない。飲み会の最中、積極的に新入生たちへ話し掛け(そして商品をアピールし)、なんとかCDを1枚と、卒論を1枚売ることに成功した。

 今日一日を振り返ってみると、電車の切符を無くすなど無駄な損失もあったが、麻雀飲み会経済的損失の多い享楽に耽ったにも関わらず、結局プラスマイナスゼロに押さえることができた。素晴らしい。毎日こんな感じで生きていきたいものだ。

2003年4月19日
朝:甘口カレー

 朝、身支度をしながらテレビを見ていたら、テレ東ですごいアニメをやっていた。最初は伝説のエロアニメ「東京ミュウミュウ」かと思っていたが、良く見ると、似ているが違う。物語では、主人公の女の子たち人魚で、あからさまに悪人らしき二人組を、突然取り出したマイクで歌って撃退していた。悪人に対峙する際、突然マイクを取って歌い出すのも奇矯といえばそうなのだが、そこはアニメなので百歩譲って溜飲する。突然踊り出すアニメ「プリンセスチュチュ」に比べれば可愛いものだ。
 だが、問題はその歌が驚くほどヘタなことだ。別に彼女たちはジャイアンばりの歌声で敵を撃退しようとしているわけではないだろう。悪人が退くのは、それ以外の何か理由があるはずだ。だが、見ている私からすれば、それは「ジャイアン効果」以外の何物にも見えない。それが、おそらくは美少女路線であろう主人公二人の容姿・振るまいとあわさって何ともいえない絶妙の無常感を演出していた。ここまで製作者の意図が半作用的かつ劇的効果を見せた作品も久しぶりだ。もう一生見たくない気もするが、来週が楽しみだ。ちなみに、調べたところ「ぴちぴちピッチ」というアニメらしい。紫色のワニに挨拶されそうな素敵な名前だ。

 今日の仕事は楽しかった。やっぱり自分はパターンゲームが好きなんだと思った。会社のお偉方はどうやら私はシミュレーションやRPGばかりやっているイメージがあるようだが、実際はアクションとかシューティングの方が好きだったりする。まあ、好きなだけで下手だから、仕事上はシミュレーションなどを押し付けた方が正解なのだろうが。

 所持金が54円しかなかったが、とてもお魚が食べたかったので、上司からお金を200円借り、帰りにスーパーでマグロを買った。おそらくカマと呼ばれる部分で(アラと呼ぶべきかもしれない)、1パック75円だった。
 夕食はそのマグロを使って酒蒸しのようなものと、軽く炒めたもやし味噌をつけて食べた。マグロは明らかに美味しい部位であり、やはり美味だったが、それ以上に食べにくかった。あまり魚を食べない人は想像しにくいと思うが、魚の肉は骨に近い方が旨いということだ。つまり、今日食べたマグロは大きな骨の周りに魚肉が付いていたわけだ。魚で最も美味な部分はアラであり、そのアラが最も安価で売られている。ここらへん、貧乏人に優しく世界は出来ている。

 食べながらテレビで「たけしのこんなはずでは!!」を見た。劇中の人物が最後に「オーマイガー!」と叫ぶことを除いては、「アンビリーバボー」との違いが全く感じられない番組だったが、まあ、それなりに面白かった。
 番組中で、エジソンとジョージ・ウェスティングハウスの電流戦争について触れられていたが、ニコラ・テスラも(ほんの一瞬だが)登場していた。私は電流戦争といえばエジソンとニコラ・テスラの闘争だと思っていて、むしろウェスティングハウスの方は「テスラに投資した人」くらいにしか記憶していなかったのだが、どうやら一般的に電流戦争とはエジソンとウェスティングハウスのものらしい。番組中でゲストが「電気といえばエジソンが有名で、ウェスティングハウスの名前なんて全然知らなかった」といっていた。確かにそれもそうだが、番組中でテスラについてほとんど触れなかったことはどうなのだろう。テスラもウェスティングハウスと同じ程度に、エジソンの高名の下にかき消された人物だと思うのだが。

 ニコラ・テスラは交流電流の発明によって(それなりに)有名だが、それよりもむしろ、オカルティストの間で知名度が高い。オカルトの意味も様々であるが、一般的に流布する「うさんくさいもの好き」というイメージからすれば、テスラが晩年に唱えていた「地球ニ分割破壊法」「殺人光線」などというショッキングな名称の研究・言説が魅力的であることはいうまでもない。また、放電する巨大なテスラコイルのすぐ脇で平然と読書をするテスラの有名な写真をして、彼をマッドサイエンティストと考えるのも詮無きことではある(歴史的文脈に沿って考えるならば、この写真は交流電流の安全性を証明しようとするパフォーマンスであり、マッドサイエンティストのイメージとは真逆のものであるが)。
 しかし、テスラをオカルティストが好むのは、もう一つの理由からだと私は考える。というのは、オカルトに対し、より語源(ラテン語で「隠す」occulereの過去分詞)に近い定義を与えるならば、それは「現代科学の枠外における理論体系を用いて万事を説明しようとする試み」となり、それゆえにテスラの重要な思想である「世界システム」がクローズアップされたのであろう、と。
 理系的知識の乏しい私が舌足らずながらも「世界システム」を説明するならば、世界中に無線による情報とエネルギーの提供、ならびに地球規模によるエネルギー発生を目指していた計画だといえる。このうち、無線による情報は現代ではラジオがそうであるように実用化されている。だが、無線エネルギーに関しては、いまだに街中に電信柱が立ち並び、送電線が敷かれていることからも分かるように、実用化には至っていない。ただ、ラジオ局から送られてくる電波も微量ながらエネルギーには違いなく、無線によるエネルギー伝達は原理的には間違っていない・・・らしい。また、無線の黎明期においては、情報の送信とエネルギーの送信は明確な区別がなされていなかったという背景もある。最後のエネルギー発生に関しては、残念ながら私にはさっぱりと理解できなかった。

 しかし、上記の「世界システム」理論何か惹かれるものは無いだろうか。もしも彼の理想の世界が完成したならば、火力や原子力などのデメリットなくエネルギーは無限に産出され、電線の引けない貧しい国々にも電気が通い、また世界中が情報を共有することができるだろう。無論、これらが技術的に不可能であるから、これらの世界に思いを馳せるのは、まさに夢物語に他ならない。だが、オカルティストとはこのような世界観にたまらなく惹かれるものだと思う。
 真面目に論ずると恐ろしく長文になるので極めて乱暴に話を進めるが、オカルティストがなぜ「うさんくさいもの」を好むかといえば、それは現代科学によって、世の中から様々な神秘的なものが失われた、その反動である。現代のように科学による合理的精神が普及するまで、世界は神秘的な神々のすまう世界だった。人々は神さまとか精霊とか妖精とか、そんなものに囲まれて暮らしている気分だった。なんとなく、世界と自分は繋がっている感じがした。だが、現代科学が「世界も人間も単なる物質なんだよ」といったことで、人間は世界から切り離された。寂しい気分になった。その反動として、一部の人々は「自分と世界は繋がっている」的な思想が大好きになったのだ。つまりはこれがオカルト(現代科学の枠外)である。幽霊を信じることも、「神々を身近に感じたい」という志向であろう。
 
 話を戻すと、テスラの「世界システム」は「なんか、みんな繋がっててイイね」という、とても甘美な思想である。この思想ゆえに、今日もオカルティストに騒がれるのは仕方が無いことだと思うのだ。だが、それは決して悪いことだとは思わない。彼がオカルティストに人気があるのも、単に「地球ニ分割破壊法」などという鬼面人を驚かすもののせいばかりとは言えないだろう。だから、テスラがオカルティストに人気があるという側面を持って、彼の評価を下げることは無いと思う。むしろ「世界システム」は、ユングなどのように、より文学的な評価を受けても良いのではないだろうか。


 せっかくオカルト話になったので、ついでに。結構最近のオカルティストで、意識を高次元にすることで〜、世界をネットワークで〜、という感じの論調を博愛的に説く、名前のカッコイイ神父か牧師がいたと思うのですが、誰か名前を知りませんか?確か、結婚式での挨拶(?)がそのまま本になってると思うんですが・・・。昔読んだのに名前が思い出せず、1年くらい前から気になって仕方ありません。誰か教えて欲しいです・・・。

2003年4月18日
カレーなし

 今日も仕事。朝食は納豆味噌汁と、昨日買ったを塩で焼いて食べた。朝から動物性たんぱく質を摂ると、一日がんばろうという気分になれる。

 私は普段は昼食を食べないし、食べても本当に軽いものだが、今日はお腹が減らなかった。いつもなら3時くらいからお腹が減って、ひもじさに耐えながら労働しているのだが、さすがは動物性たんぱく質だ。まったく、納豆などの植物性たんぱく質とは格が違う。惚れなおした。

 夕食は、レタスもやしタマネギキムチを炒めた、野菜炒めのようなものと、お味噌汁、そして味噌を食べた。今日気付いた偉大な発見は、食卓に塩とか味噌とかを小皿に分けて並べると、食卓が貴族のように豪華に見えることだ。
 子供の頃、社会の資料集で見た平安時代の貴族の食事は、確か塩や味噌などの調味料が小皿に盛られて、あたかも料理の一品であるかのように位置していたことを覚えている。だから、夕食の膳に塩や味噌などの調味料を置くだけで、食事がグッと豪華に見えるのだ。お金をかけずにゴージャスな気分になれる。これはすごい発見だ。

 ちなみに平安時代になぜ塩などの調味料が膳に並べられていたのか気になり少し調べたところ、どうやら平安時代の食事には調理過程で味付けをほとんどしなかったらしい。その代わりに塩や酢などの調味料が食卓に並べられ、各自が好きな味付けで食材を食する形を取っていたようだ。だから、彼等はあくまで「調味料として」塩などを摂っていたわけで、私のように塩や味噌を「おかずの一品として」口にしていたわけではないらしい。だめだ、形ばかりは真似できても、やはり貴族には勝てない。

 と、思ったが、さらに調べてみると、平安時代も味噌は直接舐めたりしていたことが分かった。よかった、産業革命まで起こしながら、1000年も昔の人達に負けたかと思った。

2003年4月17日
カレーなし

 仕事へ。今日は日中とても眠たく(きっとビデオテープの疲労が尾を引いているのだろう)、仕事中危うく寝そうになったり、帰りの電車で乗換駅を大幅に寝過ごしたりした。

 ビデオテープにより筋繊維を著しく損傷した私にはたんぱく質が必要だったのだろう。豚肉が欲しくなり、帰りにスーパーへ寄った。だが豚肉は高く、代わりに1パック100円を買った。夕食はキムチもやし味噌煮こみうどんを作って食べた。

 映画「ギフト」は、普通に悪くない映画だったが、別にサム・ライミ監が撮る必要は感じられないものだった。何だかライミ監督の作品は最近そんなものが多い気がするが、それは私が勝手にライミ監督を荒木飛呂彦みたいな人だとイメージしているからだろうか。ライミ監督には、もっとバガーン!!ときて、ドガーン!!となって、ジャガジャーン!!な映画を撮って欲しい。


 ・めがねの偉大さ、素晴らしさを改めて感じた一枚。
http://www.geocities.co.jp/AnimeComic-White/4216/img/sakura2.gif
(↑通常版、非めがね。何の魅力も感じない空気のような絵)
http://www.geocities.co.jp/AnimeComic-White/4216/k_sakura2.html
(↑めがね時。ヤバイ、萌え。上の一枚とは雲泥の差。別人のようだ)

2003年4月16日
早朝:ビーフカレー

 十字架の如きビデオテープを担いだ私は6時間1200円漫画喫茶へと入った。思えば、終電が無くなったのも、漫画喫茶で夜を明かすことになったのも、「早く聖闘士星矢を読破して脚本を書け」という大いなる大宇宙の意志なのだろう。うん、きっとそうだ。そうに違いない。ビデオテープは余計だが。

 学生時代はよく通っていた漫画喫茶だが、社会人(貧乏人)になってからは久しぶりだ。やはり漫画喫茶は楽しい。そこではカレー100円だったので注文してみた。聖闘士星矢はハーデス編の前半が面白かった。十二宮編はサンクチュアリを舞台とした、いわば攻城戦だが、ハーデス編ではサンクチュアリでの防衛戦である。少年マンガの多くは、主人公側が撃って出るものばかりで、こういった防衛戦は少ない。トラップや迷宮を仕掛けて敵の兵力を削るなど、確かに少年マンガの快活さには欠ける。だが、バビル2世などもそうだが、そういった展開は何故か心が踊るものだ。敵の兵力を削りながらも、少しずつ突破されていくドキドキ感のせいだろうか。

 漫画喫茶を6時ごろ出て、家に帰る。やっとビデオテープの呪縛が解けた。5時間ほど眠って、また新宿へ戻る。次はスタジオ。今日のスタジオは果たして何ヶ月ぶりだろうかと思うほど真剣に音楽をやっていた。みんなびっくりしてた。やればできるものだ。

 ビデオテープのダメージが大きかった私はすぐに帰りたかったのだが、バンドで話し合うことが多すぎてなかなか帰れず、そのうえ自転車の空気が抜けていたため、駅から家まで自転車を押して帰らなければならなかった。世界は厳しいときにはとことん厳しい。


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