架神のカレー日記03.3前半
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2003年3月15日
カレーなし

 仕事へ。最近生活がとても規則正しく、夜12時に寝て朝7時ごろ起きているが、電車の中で先日買ったテキストを読んでいたらそれでも眠くて仕方なかった。基本的に電車は眠い。

 適当に真面目に仕事して、帰って夕食。今日はキャベツの千切りが食べたかったので、もやし豆腐キャベツの千切りサラダを作って食べた。キャベツの千切りをたくさん食べると、なんだかトンカツを食べてるみたいで、少し幸せな気分になる。

 あとはゲームしてた。先日借りた『元型論』を読む時間が、どう考えても全くないことに困っている。

2003年3月14日
朝:なんだか甘いカレー

 カレーを食べて仕事へ。久しぶりの仕事はトラブル続出で全然はかどらなかった。まあ、トラブルが起きたって私のせいではないし、会社と取引先は困るだろうが、イチ労働者の私は一切困らない。自分は能力の範疇で可能な限り仕事をこなしているので、自責の念は一切起こらない。なので、一分たりとも残業せずに職場を後にする。

 そういえばテレビを見た職場の同僚が、私が早大卒ということを知ったらしく「早稲田も東大と同じで、ちょっと勉強は出来るけどバカばっかりだ」とかいっていた。まったく、無知蒙昧も甚だしい。失礼千番である。私の愛する母校早稲田を、たかが東大ごときと同列に扱うとは全くもって許しがたい。
 本当にバカなのは早稲田だけだ。ロクでもない大人になった卒業生は東大なんかより早稲田の方が遥かに多いはずだ。統計を取ったわけではないが、きっとそうに違いない。私はそう信じている。東大にカッパの着ぐるみで通学する人間がいるか?100人規模でかくれんぼする集団がいるのか??学食のモツ煮が20円値上げしただけで闘争を起こすやつがいるというのか???私の愛する早稲田は、日本一、無駄で、無意味で、不経済な、頭の悪い大学だ。それを、あんな小賢しい東大などと一緒くたにまとめないで欲しい。心外だ。実に腹立たしい。

 2ヶ月くらい前からずっとカツ丼が食べたかったので、帰りにスーパーに寄ってみる。すると首尾良くお惣菜コーナーにロースカツを発見。しかし、高い。1枚300円。私の経験からすれば、このスーパーでは8時になるとお惣菜に半額シールが貼られる。現在時刻は7時20分。あと40分ほど待てばトンカツが150円で買える。
 しかし、時は金なりとは良く言ったものだ。カネも惜しいが、私は同じくらいに時間も惜しい。40分の金銭的価値150円の値下げ価格を考えるならば、どちらを優先すべきかは貧乏人の私の目にも明らかである。ここで40分もの時間を無駄に浪費してまで、値下げ150円のトンカツを買うことはない!

 というわけで、私はトンカツを諦め家に帰った。・・・仕方がない。カツ丼は食べたかったが、トンカツが半額で売られていない以上、どうやってもカツ丼は作りようがない。はぁ・・・カツ丼食べたいなあ・・・。
 夕食は白菜タマネギもやし豆腐を入れたうどんを作った。やっぱり、カツ丼食べたい。

2003年3月13日
カレーなし

 朝食を食べて、少しだけゲームして、家を出る。ちょっと勉強でもしようかと新宿の紀伊国屋を買う。その後、領収書を書きに職場へ行った。明日から5日間仕事があるらしい。昨日まで「ああ、仕事がない、どうしよう」といっていたにも関わらず、明日から仕事となるとゲッソリする。自分は本当に労働が嫌いなんだな、と実感した。

 帰りにスーパーでキャベツうどん玉もやしを買った。明日からのお昼用にロールケーキも買った(109円、大きいので3日かけて食べる)。試食のマグロが美味しかった。それと試食の鶏肉と試食のギョウザも美味しかった。
 酒屋で安い日本酒を買った後、図書館へ。こないだふとユングが読みたくなったので他図書館からユングの「元型論」を取り寄せていたのだが、手渡されたそれは記憶にあった以上に遥かに巨大で分厚いものだった。こんなもの2週間じゃ読めない・・・。
 そういえば、先日「寝ながら学べる構造主義」という本をバンドメンバーから借りて読んだのだが、大学時代、それなりに理解していたはずのソシュールについてすっかり忘れていることに気付き唖然とした。今日、紀伊国屋で哲学のコーナーを眺めていたときも、カール・ポパーが何を言った人か思い出せなかったし、トマス・クーンの「本質的緊張」の意味が思い出せなかった。科学哲学はかなり専門に近かったはずなのだが・・・使わない知識はすぐに忘れてしまうということか。この分では、あと5年もすれば大学で学んだことなどすっかり全部忘れてしまうのではないだろうか。・・・まあ、忘れても困らないけど。

 そんな感じで夕食は焼きうどんを作って食べた。今日、紀伊国屋で見た「魔術師大全」が読みたい。あと、キッズステーションでやっている「モカイヌ」にグッときた。

2003年3月12日
朝:カレースパ(なんだか甘いカレー使用)

 昨日の夜からゲームしていて、気付いたら寝落ちしていた。朝8時ごろハッと目が覚め、すぐさまゲームを始める。「ゲーム→睡眠→ゲーム」がシームレスに移行している。睡眠時間も含め、10時間ほどゲームは点けっぱなしになっていたわけだから、軽いエイジングテスト(耐久試験)にもなったかもしれない。メガテン3は10時間連続稼動でも止まりませんよ、と。

 お腹がすいたので、カレースパを作って食べた。スパゲティーといえば、以前何かのテレビ番組で「どうして表記してある通りの時間で茹でるとアルデンテにならないのか」というテーマがあった。アルデンテといえば髪の毛一本分の芯が残っている茹で加減のことで、ルゥを絡めることにより丁度良い固さになるというものだ。その番組では、「アルデンテに合わせて茹で時間を表記すると、消費者から『まだ固いじゃないのよ』と問い合わせが殺到したから、仕方なく茹ですぎの時間を表記した」といっていた。だが、私の知る限り、表記した時間通りに茹でれば問題なくアルデンテになる。この話は一体何だったのだろうか。

 あとはHPの更新ゲームをしていた。
 困った。本当に困った。今日で既に5連休。明日も休みだから6連休だ。いくら普通人より消費量が圧倒的に少ない私でも、このままでは飢えて死んでしまう。ゲームは非常に楽しいが、この仕方なく空いた時間消費活動のみに費やしていては、将来的に窮してしまう。何かお金に化ける可能性のあることをしなければ・・・。

 夕食は野菜炒め(肉なし)と目玉焼きを食べた。実家にいた頃は野菜炒めには肉が入っているというのが通念だったが、今では「野菜炒めだから野菜が入っていればいい」という考え方になってしまい、肉はプラスαの「入っていたら嬉しいもの」となってしまった。同じことが、ラーメンうどん焼きそばにもいえる。肉のない生活も慣れるものだ。・・・・・食べたいけど。

2003年3月11日
カレーなし

 昨日の深夜2時ごろ、亀山さんから「映画撮りたいけど人が足りないので、明日10時半に来てください」と突然言われたので、がんばって早起き。時間がなかったので適当にお茶漬けを食べて、家を出た。

 役は教師役だった(全体的に見て私は教師役が多い気がする)。良く分からない内容だったが、とりあえず小道具のシュークリームが美味しかった。短い映画だったようで、2時半には撮影は終了し、それから新宿のスタジオへ。

 前回ライブしたときから当分スタジオというものに入ってなかったため、予想通り体力がまったく付いて来ず2曲ほど歌った時点でへばった。まあ、パンクだからボーカルは声が出てないくらいがいいだろう。たとえ練習とは言え、体力を考慮しペース配分するなどパンクロッカーのあり方として間違っている。
 このように、私は自己の肉体的・技術的欠陥「パンクだから」の一言で便利に片付けている気がする。いいように使われているパンクからすればそれは迷惑千番な話かもしれないが、おかげで私のような者でも自信を持って「パンクバンド」を名乗れるのだから、とてもありがたいことだ。きっといろいろと間違っているだろうが、パンクに感謝したい。

 そういえば、このスタジオでは新曲が一つ作られた。新曲を作ったといっても、リーダーの藤宮君が打ちこんできたMDを皆で聞いて、それをなんとなく再現、私が適当に歌詞を乗っけたりして1時間で完成だから、「作った」といえるのは藤宮君だけかもしれない。
 普通の一般的バンドならば、誰かが曲を持ちこんだ場合、メンバー全員によるミーティングを経てアレンジなどを練り、後はスタジオでメロディごとに細分化し、練習、加えてアレンジを推敲といった過程を経て少しずつ作り上げていくのだろうが、私たちは違う。
 私たちは初めからある程度完成した曲を「再現」し、適当に何度か弾いていく。何度も弾いているとメンバー各々、自分の演奏しているフレーズに飽きてくる。なので、勝手にアレンジを変える。このとき、メンバーに対する相談などは一切無いし、第一、変わっていてもみんな気付かない。そうして、時間が経つごとに曲は少しずつぎこちなく変化していき、ひどい曲になると作曲者が意図した元の曲の面影すら残さなくなる。ある曲など、始めた当初は確かにパンクナンバーだったはずだが、一年後にはヒップホップになっていた。お客さんからは「新曲ですか?」といわれた。
 私が昔やっていたヴィジュアル系バンド「ミルシアエリアーデ」はさらに酷く、活動初期はともかく、後半はほとんど音楽について会話を交わした記憶が無い。いつも、「次の舞台設定はどうするか?」とか「ここで引田天功みたいにボーカルが消えたら面白いな」とか、そんなことばかり話し合っていた。今にしろ、あの頃にせよ、私たちは「どうやってお客さんを嫌な気持ちにするか」を考えることで忙しく、音楽に構っている時間など無いのだ。
 閑話休題。この日のスタジオでは、メンバーから「いかに架神さんが音楽をどうでもいいと思っているか、良く分かりましたよ」といわれた。たぶん、誉められたのだろう。

 その後、CafeAYA牛丼(280円)を食べながら、バンドの写真集(完全予約限定生産:1000円)を作った。5人で取りかかったにも関わらず、わずか4部の商品に3時間もの時間を要した。
 定価1000円というのはずいぶんと高額に感じるかもしれないが写真の焼き増しなどを差し引くと、純利益は1部につき450円でしかない。450×4をメンバー数5で割るのだから、一人あたりの収入は360円。時給換算すると120円にしかならない。この写真集を作る過程で儲かっているのは写真屋さんだけだろう。結局、私たちアーチストは企業の走狗に過ぎないということか。

 その後、家に帰って蕎麦を作り、それを肴にを呑んだ。労働してないと、さほど酒を欲しないということに気付いた。あとはメガテンしてた。

2003年3月10日
夜:なんだか甘いカレー

 納豆・卵・味噌汁・海苔朝食を摂った後、家からすぐ近くのコンビニ「コスモスかとう」にてジャンプを購入。「コスモスかとう」は朝はゆっくり開店し、夜は早めに閉まってしまう。その上、平日・休日関わらずしばしば閉店している、とても便利なコンビニエンスショップだ。この日も昼11時ごろ行ったにも関わらずジャンプはまだ包装されたままで、朝忙しいサラリーマンにジャンプを売ろうという気は微塵も感じられなかった。

 私は今日も仕事が休みだったので、家でゆっくりとHPの更新をしたり、洗濯したり、ジャンプ読んだり、ゲームしたりしていた。
 夕食はカレーを食べた。一昨日は生卵を入れたためロクでもないカレーになったが、やはりその点にさえ気をつければ何の問題もなく美味しい。若干カレーマルシェに似ている気がする。今度はこれにバナナを入れて作ってみたい。

 一日中家に閉じこもってゲームしたり、パソコンいじったりしていると、とても目が疲れるので、早寝早起きの習慣がついてしまう。

2003年3月9日
朝:なんだか甘いカレー

 起きてカレーを食べた後、ケーブルテレビで『新・男樹』を見ながらHPを更新していた。
 先日やった『男樹』がアニメだったので、当然『新・男樹』もアニメだと思っていたが実写だった。本宮ひろ志の描く不良姿忠実に再現した実写版は、コスプレのようで最初見ていて笑ってしまったが、人間とは不思議なもので3時間も見続けていたら慣れた。
 HPの更新は男爵ディーノ『DRAKAN』紹介。こんなマイナーなパソコンゲームのレビューを4時間もかけて書くのは、費用対効果を考えると割が悪い気がしなくも無いが、それをいったら男爵ディーノがメインという時点で決定的に間違っているので、もう諦めたい。

 夕食はタマネギ・白菜・卵を入れたチキンラーメンを作った。それからずっとメガテンしてた。最近、すぐに目が疲れる。

2003年3月8日
夜:なんだか甘いカレー

 昨日の夜、ケーブルテレビで「けものがれ、俺らの猿と」を見ていたら、途中で寝てしまったようだ。とりあえず鳥肌実の怪演を確認できたから問題ない。別に面白くも無かったが、前評判ほど酷くもなかったと思う。

 9時頃に目が覚めテレビを点けると、神父さん(牧師さん?)が説教をしていた。これがテレビ礼拝というやつかなあ、と興味深く眺めていた。4年前、知り合った牧師の礼拝にお邪魔したときは説教の意味がまったく理解できなかったが、今日の話は(理論的に)良く理解できた。信仰を持たなくとも説教の意味するところが理解できるとは、哲学とは本当に便利な学問だ(実生活では驚くほど役に立たないが)。

 昼間は自転車を修理に出したり、スーパーで買い物をしたり、図書館で本を借りたり、ゲームをしたりした。こう列記すると意外と活動的に思われるかもしれないが、各行動の所要時間比は1:1:2:6くらいなので、そうでもない。
 お昼ゴハンはアジのてんぷらが二つとかき揚げが一つを合わせて100円で購入し(日頃から贅沢は戒めているつもりだが、これほどコストパフォーマンスが高いとつい気が緩んでしまう)、天丼っぽいものを作った。

 夜はカレーを作った。今日のカレーは、何はさておき冷凍庫で眠っているチョコカレーの処理だ。まったく、思い出すだけでもおぞましいカレーだが、このまま冷凍庫で永眠させておくわけにもいかない。それを投入することでカレー自体が致命的なダメージを受ける恐れはあるが、何事も経験だ。虎穴に入らずんば虎子を得ず、というではないか。
 まずは薄くスライスしたタマネギオリーブオイルでじっくりと炒める。オリーブオイルはたっぷりと使い、ニンニク・ショウガを加え、弱火でゆっくりが基本だ。炒めている間はヒマだが仕方ない。その後、鶏肉・唐辛子・ペパーミントを加え、また炒める。
 それら炒めたものを鍋に移し、粗く切ったニンジンと裂いたマイタケブーケガルニを加え、水で煮ること30分程。火を止め、こくまろを溶かし入れる。まあ、ここまでは何の変哲もない、いつも通りの作業だ。問題はここからだ。
 さて。レンジで解凍したチョコカレーを取り出す。相変わらずすごい香りだ。冷凍庫に閉じ込めておいたにも関わらず、チョコの香りは衰えを見せない。こんなものをカレーに入れるのか、と恐る恐る鍋に入れる。カレーの香りはチョコ一色となり、ブーケガルニやペパーミントの香りなどすっとんでしまった。だが、ビクビクしながら味見をしたところ、チョコの香りと風味は強すぎるものの味自体は許容範囲。チョコのおかげで味の奥深さが増したような気がしなくもない印象を受けたことはまるきり否めないというわけでもない。
 その後、チャツネを多めに入れて、醤油で味を整えた。

 実食。まずは普通にカレーをもぐもぐ食べてみる。チョコを敢えて意識しなければ問題ない。チャツネを多めに入れたためフルーティで、ディナーカレーの味に少し近い。チョコ・チャツネが多いため、カレーはかなり甘い感じだが、まあこれはこれでアリだろう。世の中、私のように辛党ばかりではない。
 思ったより美味しかったので二杯目。次は生卵を落としてみる。知らない人にはカレーに生卵を入れるこの行為は、信じられない蛮行、もしくは私一個の奇習のように思うかもしれないが、これはカレー店などにもしばしば見られる一般的なものである。特にインドカレーと相性が良く、ルゥがまろやかになる。
 さて、生卵を落としたカレーであるが、これが本当にキツかった。生卵を入れることでカレーの中のチョコが引き立つらしく、チョコの甘さが生卵の食感と不気味に融和し、本当に気持ち悪いカレーになった。勿体無いので無理して完食したが、その後口直しが必要になるほどの気持ち悪さだった。今回の一件で、「チョコと生卵は相性が悪い」という大切なことを学んだ。だが、ちょっと頭で考えれば、学ばずとも分かりそうなものだ。

2003年3月7日
カレーなし

 昨日テレビに出た。もともと宣伝目当てに受諾した話だったが、こちらが引け目を感じるほどに作品を取り上げてもらい、当初の目的は十分すぎるほどに達成できた。
 その後、バンドメンバーに「僕の果たした宣伝効果について称えてくれ」と言ったところ、「そうですね・・・まず番組終盤に登場したことにより、最新効果による記憶の強化が期待できますね、うんぬん・・・」と語りだし、なるほどと思った。以前、お客さんから「このバンドのメンバーはいやな人ばかりだ」といわれたが、こういうことだったのか。

 朝起きてキャベツ鶏肉タマネギマイタケ野菜炒めを作り、朝食とお弁当とした。今日の仕事は予定していた時間より一時間も早く終わり、余った時間はおねーさんとお茶を飲みながら楽しくホラー映画の話などしていた。
 しかし、一昨日「3時間のところを1時間15分にするのが効率化の限度だ」と書いたが、最終日である今日は最短40分までに縮めることが出来た。人間に限界など無いということか。己の才を過信し、1時間15分を限度と考えた不明を恥じるばかりだ。だが、こうもいえる。よく「人は己に限界を定めた時、成長が止まる」というが、今回のように「限界を定めつつも、なんとなく成長する」ケースもあるということだ。

 おねーさんは夜の8時から新宿で用があるらしく、それまで暇らしい。良かったらそれまでご一緒してよろしいですか、と尋ねたところ、「私、メタルフィギュアの更新チェックしたいからイエローサブマリン行くけど、いい?」とのこと。ヒマの潰し方が素敵だ。

 西新宿のイエローサブマリンに行き、まず地下でメタルフィギュアというものを眺める。『ウォーハンマー』というゲームの手引書を興味深く眺めていると、店員さんから「ゲームの説明がてら、少しやってみませんか?」と誘われる。やってみると大変楽しかった。だが、どう考えてもお金の掛かる道楽ゆえ、手を出すことはないだろう。あと、剣と魔法の世界よりも個人的には江戸末期の方が好きなので、ゴブリンとかアンデッドとかを長州兵とか薩摩兵とかにすると心を奪われるかもしれない。長州兵は会津兵・桑名兵に対し士気値ボーナス+2とか。

 その後、3フロアー上にあるTRPGの階にて、おねーさんからTRPGについての長大な説明を聞き、大変勉強になった。
 思うに、少なくとも現代日本でゲームといえば、まず脳裏に浮かぶのはプレステやパソコンゲームなどのコンピューターゲームである。つまり、先の『ウォーハンマー』のような剣と魔法とモンスターの世界観からゲームを作ろうとすれば、私などはまず真っ先にコンピューターによるゲーム化を考えるし、反面他の媒体でのゲーム化は考えにくい。それは私がコンピューターゲームに慣れ親しんでいる一方、『ウォーハンマー』のようなミニチュアゲームや、TRPGのゲーム概念に明るくないからだ。
 だが、もしこれがコンピューターゲームの黎明期であれば、私は「真っ先にコンピューターゲーム化を」考えはしなかっただろう。おそらく、その時点においてはコンピューターを用いてゲーム化するという発想よりも、ミニチュアやトークを基にゲーム化するという発想の方が思いつきやすいはずである。いわば、現在のコンピューターゲームが席巻する世界は、数あるゲーム化のあり方の可能性の一つに過ぎず、同じようにミニチュアゲームが席巻する世界も、TRPGが席巻する世界もありえたはずである。
 すると次に問題になってくるのは、「なぜ現在日本ではコンピューターゲームがメインストリームなのか」ということだが、これは私一人の想像と知識の範疇を大きく超えているため、軽軽しく論を展開することは避けたい。それよりも私の興味を惹いたのは各ゲームにおけるシステムの有効性についてである。
 たとえば、『ウォーハンマー』のようなターン制戦争シミュレーションがコンピューターゲームである場合、移動に関していえば「Aというキャラクターは6ヘックス(6マス)移動できる」といった移動力に関する設定があり、そのキャラクターを選択すればコンピューターの方で計算処理を行い、6ヘックス内で移動できる場所を示してくれる。私たちは、移動先を選択するだけで、そのキャラクターは移動する。
 一方、『ウォーハンマー』においては、当然コンピューターの計算処理を挟まない。『ウォーハンマー』においても移動力に関するキャラクターごとの設定があり、たとえば「Bというキャラクターは16cm移動できる」などのように決まっている。しかし、16cmの行動距離範囲をコンピューターが示してくれるわけではない。では、どうするか?おもむろに定規を取り出し、16cmを測り、移動するのである。同じように、弓矢隊の攻撃が民家を挟んだ敵軍に当たるかどうかの判定は、プレイヤーが腰を屈めキャラクターの視点に立ち「あー、なんとかあのキャラ見えるよ。たぶん当たるねー」といった感じで決定される。
 ここで重要なことは、人間がゲームに「楽しさ」を感じるときにコンピューターによる計算処理は必ずしも必要ではない、という当たり前のことである。それは定規を使うことや、腰を屈めることで、十分に代替できる。だが、コンピューターゲームに慣れ親しんでいる私たちは、コンピューター計算の代わりに腰を屈めるゲームを、ややもすれば「垢抜けない」「主観的で公平さに欠ける」などと考えてしまうのではなかろうか。だが、私は実際に遊んでみることで、そういった問題がいかに些細なものかを知った。
 今日、私が『ウォーハンマー』を実地で楽しみ、TRPGの説明を受けたことは、「このゲームはコンピューターゲームにする以外、方法はないだろう」という貧困な発想から脱し、ミニチュアゲーム・TPRGなど全く違うゲームのあり方、ひいては未だ啓かれていない新たなゲームのあり方へと通じる足掛かりとなったはずである。それはゲームに限らず、今後私が何事かを製作・創造する際に従来の規範的カテゴリを打ち壊す原動力となる可能性も秘めている。最後のは非常に大げさな言い方だが、まあそのくらい私は今日の体験を貴重なものと考えたということだ。一言でまとめれば「目新しいものは面白い」ということか。

 おねーさんと別れた後、ゲーセンで250円だけ遊んで家に帰った。すっかり遅くなったのでカレー作りは諦め、カップラーメンを食べた。

2003年3月6日
カレーなし

 朝から焼きうどんを作る。そして、半分をお弁当に詰め、半分を朝食ゴハンと一緒に食べる。

 今日も昼食は、うさんくさいレストラン(とは名ばかりの定食屋であることは昨日も述べた)で食べる。他3人はそこで何らかの定食を購い食べるわけだが、私はいつもお弁当を持ちこんでいた(念のため言うが、店側の許可は頂いている)。だが、今日は朝から焼きうどんを作ったにも関わらず、不覚にもお弁当を忘れてしまい、何も食べるものなく一人でしょんぼりしていた。
 すると、そんな私を憐れに思ったのか、今回の仕事の契約者さまが食べ残しの中華丼を勧めてくれた。無論、断る理由もない。それをありがたく頂いた。

 しかし、この昼食の一件だけ見ても、普通にサラリーを貰っている人達から見える世界は、私のそれとは全くの別物であることが分かる。たとえば食事に関して言えば、私には基本的に「食べ物を残す」という概念が欠如している。いや、まったく存在しないというわけではない。ただ、食べ物を前にしたとき、その食べ物を「残す」という選択肢がなかなか惹起されない、ということだ。
 だが、彼らの食事風景を見ていると、そこには明らかに「残す」という選択肢が最初から存在している。それも彼らは、お腹がいっぱいになったり、その味に飽きたりしたときに、初めて「残す」という選択肢を考えたわけではないように思える。彼らの頭の中では、その食事を注文する際から既に「残す」可能性を孕んでいるのではなかろうか。
 断っておくが、私は別に食べ物を残すことの非経済性・非道徳性をやかましく言うつもりは無い。それはそれで重要なテーマだとは思うが、残念ながら私にはあまり興味はない。そうではなく、私がここでいいたいことは、月収の多寡だけでもその目に映る世界が違ってくるということである。

 彼らは食事を残す。そして彼らにとって「残された食事」「残飯」であろう。だが、私にとっての「残飯」とは、「どうやっても食べれないもの」である。私にとっての「残飯」とは、料理過程において著しい失敗を犯し、とても喉を通らないもの、口に入れたとしても、その食材が持つ栄養価・経済価値より遥かに不快感が優るもののことである。それらが「残飯」となるのに必要な条件は「食べれない」という、食物であることの資格の剥奪である。つまり、私にとって「食べ物であったはずが、食べ物で無くなったもの」「残飯」なのだ。彼らにおける「残飯」「食べ物であることに変わりはないけれど、食べることを放棄した食べ物」であることとの違いがお分かりだろうか。

 それで結局何が言いたかったかというと、彼らにとっての残り物も私にとっては貴重な食料であり、それが「残り物」か「食料」かの判断は互いの月収に拠るものである。だから、私にとってはまごうことなき「食料」である「残り物」を貰うことは、理論的に考えても全く恥ずかしくない、ということだ。カール・マルクスは「帰属階級によって人間の世界観は異なる」ことを説いたが、それはおそらくこういうことを言うのだろう。そんなことを考えながら、残り物の中華丼を頂いた。とても美味しかった。

 家に帰って、持っていくのを忘れたお弁当を食べた。焼きうどんは冷えていても美味しかった。

2003年3月5日
カレーなし

 めがねのおねーさんと行く、出向3日目。今日は一昨日の件で昼食を奢って頂くことになり、近くのレストラン(とは名ばかりの定食屋)にてCランチを奢っていただいた。ラーメンチキンクリームコロッケ600円。私の一日の総カロリー量に相当する分量だ。素晴らしい。

 出向の仕事だが、そろそろキツくなってきた。めがねのおねーさんは相変わらずお美しいし、担当の方々も気の良い方で和やかな雰囲気の職場は悪くないのだが。
 問題の一つは、仕事量が純粋に多すぎることだ。今回は早くこなせば早く帰れる、ということだったが、とてもとても時間内には終わらない。私は「仕事量が増えれば増えるほど、処理能力が向上する」という人生舐めきった特質を備えているが、その私ですら間に合わないのだから、これは誰がやっても間に合わないだろう。
 後は、仕事に飽きてきたというのがある。今回の作業はかなり単純作業だ。だが、私はそこに労働があれば、いかにしてそれを効率よく消化するべきか真剣に考える人間であり、そして、そこに「やりがい」を見出す人間でもある。もちろん「慣れ」と「習熟」もあるだろうが、今回も最初3時間掛かった仕事を1時間15分程度に押さえることが出来た。だが、効率化もこれが限度だ。私にとって効率化は手段ではなく目的であるため(これも人生舐めきっていると我ながら思う)、それが達成された今となっては退屈で仕方ない。

 帰りにスーパーで明日のカレー用たまねぎとか鶏肉とかを買った。そして誘惑に負けて特売のプリンを買った。夕食は納豆味噌汁で適当に食べた。お昼が贅沢だったからこんなものでいいだろう。食後にはプリンを食べた。ぷるるんしてて幸せだった。プリンの正しい評価は美味しいとか不味いとかじゃなくて、幸せか不幸せかだと思う。

 食後はゲームしようと思っていたが、今日帰りの電車で閃いた「ロジカル、ゆえに世界は美しい」という観念について議論を重ねていたら、すっかり遅くなってしまい、ゲームどころじゃなくなった。この時間の使い方は有意義なのだろうか、それとも無意義なのだろうか。難しいところだ。

2003年3月4日
夜:ペパーミントカレー(終了)

 ↓の件があり、いまとても放心状態なので、ちょっと書く気がしない。

 朝と昼とにカツオとか食べた。美味しかった。夜はカレーと焼きうどん食べた。

2003年3月3日
カレーなし

 とても面白いことがあったので、1時間かけて日記を書いたのに、手違いで消してしまい、もう本当にガックリきた。あー、消えるときは一瞬だ。

 カレーは食べなかった。

 また気力が充溢したら書きます・・・。充溢しなければ諦めます。

2003年3月2日
朝:カレースパ(酷く適当なカレー使用)

 ビデオの作動音に気付き、9時半に起きる。本当はアバレンジャーを見ようと7時半目覚ましを仕掛けていたのだが、それでは起きれなかった。目覚ましの音では起きれなかったくせに、ギャラクシーエンジェルを撮るべくセットしたビデオの音なら起きれるとはどういうことだろう。アバレンジャーも555も見逃してしまったが、ギャラクシーエンジェルだけは押さえれたので、まあいい。

 キッズステーションの「三つ目がとおる」を見ながら朝食にカレースパを食べた。「三つ目がとおる」は古典といっても差し支えないほどのシロモノだが、いま見ても十分ドキドキする。横山光輝の「バビル二世」といい、SFヒーローアクションは昔の物の方がなぜかリアリティを感じる。いや、しかし「三つ目がとおる」と「バビル二世」のニ作品だけを抽出して、懐古趣味に浸るのは幾らなんでも横暴に過ぎるだろうか。最近のアニメ・マンガで良いSF物(古代超科学文明系)があれば教えてください。ジャンプの「グラナダ」はアウトな方向で。

 後はゲームしたり、CATVで本宮ひろ志「男樹」OVAを見ながらHPの更新をしたりと、またりと過ごした。家から出ないと幸せだ。
 夕食は白菜ニンジン酒粕味噌うどんを作って食べた。

2003年3月1日
カレーなし

 朝は昨日の夜作ったのと同じようにマグロを調理した。少々、中の方が生焼けだったが、まあ貧乏だからお腹壊さないだろう。

 今日は休みだったので、一日中ゲームしてるかアニメ見てるかだった。外は雨、普段なら雨の日は私でなくとも気分が鬱屈となるものだが、家の中に閉じこもっている時の雨は、むしろ優越感が感じられるから好きだ。

 はじめて「プリンセスチュチュ」というアニメを本気で見たが、これは本当にすごいものだった。面白いとか、面白くないとか、もはやそういうレベルではなく「すごいもの」だった。いちおう公式サイトココだが、こんなもの見ても「プリンセスチュチュ」のすごさは何も分かりはしないだろう。単に突然あの映像・演出を目の当たりにしたから衝撃を受けただけかもしれないが、とにかく、そのセンスは異常だった。

 夕食は朝焼いたマグロをゴハンの上に乗せ、ぽん酢をかけて食べた。食べながら押井守「人狼」を見ていたが、ながら見では良く理解できなかった。あとはゲームしてた。
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