2003年1月31日
夜:ペパーミントカレー
朝食を食べて、仕事へ。普通に頑張った。
帰り際、職場のめがねのおねーさんから「かわいいポンチョだね」といわれた。多くの人がマントと勘違いする中、さすがはおねーさんだ。素晴らしいめがねをかけているだけあり、眼力も素晴らしい。
ほんの数日前まで気付いていなかったのだが、今日は実はカレー一周年だったりする。私にとっては、すでにカレーが空気のように日常に溶け込んでしまっているため、多少の開放感はあるものの、やり遂げた充実感もなければ、人に自慢したいという気持ちも起こらない。私は、ただ無為にカレーを食し、気付けば一年が経っていたという感じだ。人とカレーの合一といえば、少し言葉が過ぎるだろうか。
せっかくのセレブレィションデイ、私もこの一年の締め括りに何か豪華なカレーを食べようかと思った。高田馬場に新たに支店ができた有名カレー店「エチオピア」が脳裏に浮かんだ。だが、財布を見るとわずか282円しか無く、何をすることもなく家に帰った。
家に帰り、外食は出来なかったものの、せめて何か豪華な夕食を作ろうと思い、冷蔵庫を見る。しばらく思案したが、結局のところ野菜炒め(肉なし)が今日作れる最も豪華な食事に違いなかった。キャベツ・玉ねぎ・もやしを炒め、荒挽き黒胡椒をたっぷりと使って野菜炒め(肉なし)を作った。大好きな黒胡椒をたっぷり使ったので、心もおなかも豊かになった。しかし、何か間違っている気もする。
この一年を振り返るに、正直それほど特別なことをした気はしない。先にも触れたが、カレーは既に日常に溶け込みすぎている。インド人が毎日カレーを食べていることを、今では不思議とも何とも思わない。
インスタントカレーを一年間食え、といわれれば、私もとても出来ないが、粉から作ったカレーを一年間食べつづけることは容易だ。煮しめを毎日食べている感覚に近い。実際、この一年間で飽きから「今日はカレーを食べたくない」と感じたのは、ほんの数日に過ぎない。
しかし、飽きは来ずとも、カレーを毎日食べつづけるというのは辛かった。経済的にも時間的にも辛かった。一日一カレーという縛りは、食だけではなく、個人の行動をも束縛するものだった。カレーを作らなければいけないから明日は仕事を休みたい、お腹空いていないけどカレーを食べなければならない、この店はこれが旨いのだけどカレーを食べなければならない、etc・・・。むしろ食事以外での負担が大きかったといえよう。私が若干感じた開放感は主にここに由来する。
言ってしまえば、「カレーを一日一食食べる」と「コメを毎日食べる」の困難さはあまり変わらない。どちらも飽きが来るようなものではない。だが、それにより行動が束縛されるのである。例えば、朝はスパゲティー、昼はみたらし団子、夜はグラタンを食べたい日があったとしよう。そんなときでも、あなたはコメを食べなければならない。スパゲティーとごはん、みたらし団子とごはん、グラタンとごはん・・・・・・。どれをとっても、微妙だ。あなたは仕方なくグラタンをドリアにするか、夕食後にお茶漬けを食べたりすることだろう。あくまでドリアが食べたくても、夕食でお腹が一杯であっても、あなたは何とかしてコメを食べなくてはならないのだ。食事縛りは、食事の内容を制限するだけでなく、あなたの行動と、素直な欲求をも制限する。
私は今年もまた多くの日数をカレーに費やすだろう。具体的に言えば一年の半分以上はカレーを食べることだろう。だが、もう食事縛りはしない。食事を縛るということは、行動を、そして思想を縛るということだからだ。酔っているので、何を言っているのかよく分からないが、つまりそういうことで、もうやりません。 |
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