架神のカレー日記03.1後半
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2003年1月31日
夜:ペパーミントカレー

 朝食を食べて、仕事へ。普通に頑張った。

 帰り際、職場のめがねのおねーさんから「かわいいポンチョだね」といわれた。多くの人がマントと勘違いする中、さすがはおねーさんだ。素晴らしいめがねをかけているだけあり、眼力も素晴らしい。

 ほんの数日前まで気付いていなかったのだが、今日は実はカレー一周年だったりする。私にとっては、すでにカレー空気のように日常に溶け込んでしまっているため、多少の開放感はあるものの、やり遂げた充実感もなければ、人に自慢したいという気持ちも起こらない。私は、ただ無為にカレーを食し、気付けば一年が経っていたという感じだ。人とカレーの合一といえば、少し言葉が過ぎるだろうか。

 せっかくのセレブレィションデイ、私もこの一年の締め括り何か豪華なカレーを食べようかと思った。高田馬場に新たに支店ができた有名カレー店「エチオピア」が脳裏に浮かんだ。だが、財布を見るとわずか282円しか無く、何をすることもなく家に帰った。
 家に帰り、外食は出来なかったものの、せめて何か豪華な夕食を作ろうと思い、冷蔵庫を見る。しばらく思案したが、結局のところ野菜炒め(肉なし)が今日作れる最も豪華な食事に違いなかった。キャベツ・玉ねぎ・もやしを炒め、荒挽き黒胡椒をたっぷりと使って野菜炒め(肉なし)を作った。大好きな黒胡椒をたっぷり使ったので、心もおなかも豊かになった。しかし、何か間違っている気もする。

 この一年を振り返るに、正直それほど特別なことをした気はしない。先にも触れたが、カレーは既に日常に溶け込みすぎている。インド人が毎日カレーを食べていることを、今では不思議とも何とも思わない。
 インスタントカレーを一年間食え、といわれれば、私もとても出来ないが、粉から作ったカレーを一年間食べつづけることは容易だ。煮しめを毎日食べている感覚に近い。実際、この一年間で飽きから「今日はカレーを食べたくない」と感じたのは、ほんの数日に過ぎない。
 しかし、飽きは来ずとも、カレーを毎日食べつづけるというのは辛かった。経済的にも時間的にも辛かった。一日一カレーという縛りは、食だけではなく、個人の行動をも束縛するものだった。カレーを作らなければいけないから明日は仕事を休みたい、お腹空いていないけどカレーを食べなければならない、この店はこれが旨いのだけどカレーを食べなければならない、etc・・・。むしろ食事以外での負担が大きかったといえよう。私が若干感じた開放感は主にここに由来する。
 言ってしまえば、「カレーを一日一食食べる」「コメを毎日食べる」の困難さはあまり変わらない。どちらも飽きが来るようなものではない。だが、それにより行動が束縛されるのである。例えば、朝はスパゲティー、昼はみたらし団子、夜はグラタンを食べたい日があったとしよう。そんなときでも、あなたはコメを食べなければならない。スパゲティーとごはん、みたらし団子とごはん、グラタンとごはん・・・・・・。どれをとっても、微妙だ。あなたは仕方なくグラタンをドリアにするか、夕食後にお茶漬けを食べたりすることだろう。あくまでドリアが食べたくても、夕食でお腹が一杯であっても、あなたは何とかしてコメを食べなくてはならないのだ。食事縛りは、食事の内容を制限するだけでなく、あなたの行動と、素直な欲求をも制限する。

 私は今年もまた多くの日数をカレーに費やすだろう。具体的に言えば一年の半分以上はカレーを食べることだろう。だが、もう食事縛りはしない。食事を縛るということは、行動を、そして思想を縛るということだからだ。酔っているので、何を言っているのかよく分からないが、つまりそういうことで、もうやりません。

2003年1月30日
朝:カレースパ(ペパーミントカレー使用)

 朝起きてカレースパを作る。今回のペパーミントカレースープカレーといって良い程のものなので、スープスパのようなものになるかと思ったが、ルーの量が少なかったため、味が薄く刺激的なだけの良く分からないものになってしまったが、まあ食えた。

 その後、新宿のスタジオへ。今日は1時半から開始して4時半には終わる予定だったので、遅くとも6時には家に帰れると踏んでいたが、こなすべき内容が4時半には終わらず5時半まで延長となり、さらに第一回パンク模試の採点をしていたら、午後九時に及んだ。

 それから家に着いたのが10時半。せっかくの休日だというのに、今日もゲームが出来なかった。なんということだ。普通の人間からすれば、屋外で仲間と一緒に生産的に過ごす休日は尊ばれるべきものかもしれないが、私にとっての最良の休日とは家で消費的行動のみを行う休日である。生産とは生きていく上でやむにやまれぬ必要行為であり、一方、消費する必要のない余剰行為、つまりは文化であり贅沢であると思うからだ。消費と生産については、いつか長々と筆を取りたい気もするが、それ自体生産行為なので面倒臭い気もする。

 ところで、今日の夕食はあなご丼だった。例の宅配寿司の500円割引券が今日までだったので、スタジオに行く前に買っておいたのだ。あなご丼とざる蕎麦のセット(750-500)×0.9=180(円)。素晴らしい割引券だった。また配ってほしい。近隣のポストから奪わなくてもいいように、私のところに3つ4つ入れていって欲しい。

2003年1月29日
朝:ペパーミントカレー

 朝、カレーを食べて、家を出る。今日はいつものバイトではなく、人体実験のバイトだ。といっても、研究段階の胡散臭い薬を服用するいわゆる治験ではなく、もっと穏当なものだ。

 今回の実験は、光量と運動量を測定する万歩計のようなリストバンドを着け2週間を過ごし、機械が正常に動作しているかどうかを調べるというもの。人体実験といっても御覧のように痛くも痒くもないわけだ。まあ「見た目が悪い」「若干気になる」「水に濡れないよう気を遣う」「プライバシーが若干漏れる」など弊害もあるにはあるが、それも実験協力の謝礼の高を考えれば問題ではない。いやあ、これは本当にありがたい。このお金でプレステ2が買える。

 ちなみに、実験の説明があった登戸まで某バカップル(♀)を引率していったが、案の定遅刻してきた。もちろん私も遅刻を見越し、15分早く集合時間を設定していたのだが、25分遅れてくるとは裏をかかれた。

 なお、彼女は2/19吉祥寺 star pine's cafeでライブをするらしく、「ノルマが10万なのぅ〜〜、チケット買ってぇぇ」と言ってきたが、私にそんな金があろうはずもない。無碍に断ったら「せめて宣伝しろ」といってきたので、仕方なくこの場を借りて宣伝しておく。

電波系アイドル☆ササキユウコのGhost Kitchen
2003 2/19 (wed) @ 吉祥寺 star pine's cafe ¥(確か)2300
予約→ghostkitchen@hotmail.com

 HPで彼女の電波っぷりが散見できるのは、やはり「yuko's chillin' room」か。

>> 今みぃちゃんがゴルフのテレビ見てる。
>> うちのみぃちゃんテレビ見るの。
>> なんてかわいいんだろう。
>> 地震が起きて家が壊れた時は、みぃちゃんがお外に脱走するのを必ず阻止して、黒い旅行バッグに詰めて一緒に逃げようと、週に2回くらい 思う。

 みぃちゃんとは彼女の飼っているのこと。彼女は常に素でこんな感じだ。せっかくこれだけの才能を持っているのだから、もっと電波系を売りにすればいいのに。音楽がまともなのが残念だ。

 昼間は暖かかったのに帰りは寒かった。身体を温めるため、帰ってすぐに夕食を作る。夕食は味噌煮込みうどんを作って食べた。その後、貰い物のビーフジャーキー日本酒を呑んだ。ビーフジャーキーは旨かった。感動した。これが干し肉というものか。酒の肴に「肉」を食うという贅沢感に快く酔った。

 その後はずっとドラクエしてた。次はゾーマだ。


2003年1月28日
夜:ペパーミントカレー

 朝、寝過ごす。いつも家を出る時間に起きてしまった。さすがにいつも通りゆったり朝食を摂る時間はなく、貰い物のフルーツグラノラを食べて仕事へ。さらに、通勤途中の電車で司馬遼太郎を熱心に読み耽っていたら電車を乗り過ごし、遅刻に輪をかけることになった。

 遅刻したせいもあり、仕事が終わったのは6時半。まあ、明日は休みだからいいのだけど・・・。家に帰って、昨日の残りのスープカレーを食べながら、剣客商売を見た。あとでTV欄を見て後悔したのだが、裏番組のTV東京系「聖少女パフィー」を見れば良かった。今日のタイトルは「カマキリ 美女教師魅惑の個人授業」。物凄いネーミングセンスだ。いったい、どんな内容だったのだろう。とても心惹かれる。

2003年1月27日
朝:ペパーミントカレー

 朝、カレー味噌汁朝食を食べ、仕事へ。雨が降っていて、アホかと思うほどに寒かった。絶対、嫌がらせだ。

 仕事は今日も楽しかった。しかし、そんな楽しい作業も今日で終わり。毎日このくらい楽しければ、週に4日労働するのにも甘んじれるのだが。

 帰って、キャベツトマトタマネギ鶏肉黒コショウコンソメで煮たスープを作り、食べた。その後はDQ3の日記を書いたり、ジャンプ感想を書いたりした。今日はたくさん書き物をして疲れたので、この辺で。

2003年1月26日
朝:ペパーミントカレー

 昨日書き忘れたが、結局調子の悪くなったPCの復旧作業は、1週間ほど延期することになった。というのは、復旧ついでにハード面を新調し、全体的なパワーアップを図ることになったからだ。

 今日は、朝、カレーを食べながら「仮面ライダー555」を見た。さっぱり意味が分からなかった。まず、変身したのは誰なんだ?ヒロイン(?)をナンパしていた3人ではなかったようだが。どうも、人物が混みあいすぎて理解できない。単にカレーを食べながら見ていたから悪かったのかもしれないが。まあ、今後に期待したいと思う。とりあえず、今回の2人のヒロインは龍騎よりも可愛いと思った。

 仕事。久しぶりにゲームらしいゲームを扱えて楽しかった。

 家に帰って夕食インスタントラーメンを作る。骨付きチキン昆布キャベツ20分ほど煮込み、それで作った。これだけ煮込めばさぞ美味しいスープになると思ったが、別段そんなこともなかった。以前、マグロを煮込んで作ったときはインスタントでも非常に美味しかったのだが。

 食べながらビデオに撮っておいたギャラクシーエンジェルを見た。素晴らしかった。特に後半。その後は、ずっとドラクエやってた。

2003年1月25日
夜:ペパーミントカレー

 朝11時ごろゆっくりと起き、適当に朝食を食べる。宇宙大作戦チョコベイダーを見た後、借りていたビデオの「新・死霊のはらわた」を見る。詳しいことは知らないが、製作総指揮サム・ライミということで、とても楽しみだ。

 「新・死霊のはらわた」スタート。・・・ん。・・・おお?・・・あれ?・・・え、え?・・・・・・なに、コレ?

 何だ、こりゃ。これがサム・ライミ作品?信じられない。全然、だめだ。
 何がダメって、全編に渡って、全く緊迫感が無い。ゾンビ対策SWAT部隊はぱくぱく動いているゾンビの口の方にわざわざ手を出して噛まれたりゾンビを振り払った後、のんびり立ってたら噛まれたりと、わざとやってるとしか思えない。緊張感とスピード感に溢れた素晴らしいB級ホラー「死霊のはらわた」と比べると、とても同一人物の作品とは思えない出来の悪さだ。
 それに、ゾンビがまるでジョージ・A・ロメロのゾンビそのままだ。確かにゾンビ映画は大なり小なりロメロの影響を受けているだろうが、それにしても、サム・ライミ程の監督がここまで他人に影響を受けるだろうか。やはり、どう考えてもこの作品をサム・ライミが手掛けたとは考えられない。
 それで、エンドクレジットに眼を凝らして見てみたが、やはりサム・ライミのクレジットは無い。しまった、これが俗に言う嘘ジャケか。ビデオのジャケットには嘘が多いと聞くが、実際に騙されたのは初めてだ。
 
 しかし、嘘ジャケといえど、全く根も葉もない嘘を並べているわけではなかろう。製作総指揮、と書いてあるからには、少しくらい手を触れていても良さそうなものだ。だが、全編に漂うバカっぽさ以外、サム・ライミを思わせるところは無い。
 それで、ネットで調べてみたところ、どうやら監督がサム・ライミの昔の友人らしい。そして、私が最も気になったのは、エンドクレジットの後、「これで、いいの?」字幕が入るところだ。
 ここからは、私の推測に過ぎないのだが、監督のブック・ウォルター半分冗談でこのゾンビ映画を作ったのではなかろうか(悪質なジョークだと思えば、笑えなくも無い)。そしてそれを友人のサム・ライミに見せ、コメントを求めた。サム・ライミは笑いながら「これで、いいの?」と答えた。ブック・ウォルターも笑いながら、このコメントをラストに挿入し、後は販売元のギャガ・コミュニケーションが製作総指揮〜をでっち上げた。もともとの作品がこんなもんだから販売権は格安だったろうし、サム・ライミの名前を出しておけば、私のように釣られてしまうお間抜な人も結構いただろうから、ギャガにしては美味しい商売だったのではないか。とりあえず、私はもうギャガのジャケットは信用しないことに決めた。

※ある意味面白い「新・死霊のはらわた」を詳しく知りたい人はこちらをどうぞ。

 その後、ビデオを返し、図書館で本を延長し、スーパーで買い物をし、カレーを作った。今日はついにペパーミントスパイス状にするところから始める。カレーの穴さんの「手作りカレー粉」のページを参考にしながら、ローストして、すり棒でぐりぐりと挽いた。次いで、こちらのページを参考にしながら、ペパーミントカレーを作った。ただし、クローブがなかったのでブラックペッパーで代用した。
 辛いのに、口がスーッとするカレーを作りたかったのだが、分量通りではそうはならなかった。もっと大胆にペパーミントの量を増やさなければいけないのだろうか。それとも、クローブにも同様の効果があるはずだから、やはりクローブを用意しなければいけないのだろうか。また、ターメリックが分量どおりでは量が少なすぎるのか、写真のようなカレー色にならず、黒色になってしまった。これは自分で作ったのでなければ、あまり食欲の湧かない色だ。味は、カレーと考えればずいぶん珍妙な味だが、悪くは無かった。

 テレビの話をすると、今日の「USO!ジャパン」は非常に面白かった。やればできるじゃないか。毎週、このクオリティを保って欲しい。「USO!ジャパン」を心から面白いと思ったのは、ずっと昔の「逆バミューダ」の時以来だ。
 その後、映画の「ダークシティ」を見た。あらすじを読んで期待したほど面白くは無かったが、酒を呑みながら適当に見る程度には良かった。しかし、どちらかというとその後の「うまいが一番、池波正太郎の食世界」の方が面白いと思った。
 

2003年1月24日
夜:カレースパ(和風カレー使用)

 疲れた。朝起きて朝食を食べ、仕事へ行き、帰りに新宿スタジオに入って、少しだけゲーセンに寄って帰った。帰ってスパゲティーを作って食べた。

 身体も不調だが、PCも不調だ。Windows使っていれば少しずつおかしくなっていくもので、これまでもいろいろな問題を騙し騙し使っていたが、今日の朝、わけのわからんエラーメッセージが出るようになり、起動が少々面倒になった。レジストリチェッカでも直らなかったので、諦めて再インストールしようと思う。だから、明日の休みは再インストールで潰れると思われる。残念。

2003年1月23日
朝:カレーうどん(和風カレー使用)

 今日はミュージカル本番。昨日の夜は早く寝ればいいものを、バンドメンバーと「バンド内での各メンバーの呼び方をどうするか」という、本当にこの上なくくだらない話題で盛り上がってしまい、寝るのが遅くなった。
 普通のバンドのミーティングというものは「この曲のアレンジはどうするか?」とか「次のライブ活動をどこで行うか」とか、そういうもののはずだ。私たちの議題は「アーティスト名をどうするか」ですらない、噛み砕いていえば「メンバーの愛称(メンバー間のみで通用)を何にするか」という、バンド的には1mmの前進もない非常に不毛な話である。しかし、同時に個人の尊厳的には看過できない問題でもある。結局、この話し合いは午前3時まで行われた。

 朝、当然のように寝過ごし、カレーを食べ、シャワーを浴びた後、家を出る。
 
 出ると・・・雪が降っていた
 
 しばし、迷った。しかし、友情はたぶん大切だ。心底嫌で嫌で仕方なかったが、私は頑張って会場の学芸大学へと向かった。

 着いてから、練習、リハーサル、練習、準備。何だか思った以上に労働させられている。何で仕事を休んでまで、タダ働きでこんな重労働をしているのだろう、と何か釈然としないものがあったが、企画者である殺の英雄的行為により、その問題は解決した。つまり、ギャラが出たのである。

 私は以前も述べたように、生産消費を厳密に区別したい人間だ。今回の件は、義による助太刀であるが、あえて書かなくてもいいことを書くなら、殺という優秀な人間とのコネクションを保つための協力でもある。これは消費ではないが、金にならないという点で生産でもない。殺を手伝うことは文脈上明らかに必須行為であるが、上のような私の性分から考えると、やはり釈然としないものがあったのだ。
 だが、ギャラが出たことにより、これは「生産」と定義づけられる。今まで「よく分からないが、絶対やらなきゃいけないこと」だった今回のケースが、些少とはいえギャラが出たことにより「自分の生活のための生産行為」と定義づけられたのだ。俄然、やる気が出た。額の大小ではない、自分の行為に明確な題目が与えられたことに意味があるのだ。

 というわけで、がんばった。ギャラの分は十分に働いた自信がある。いつも通り台本も踊りもうる覚えだったが、私は相変わらず本番に強く、勝手に身体が動いて、勝手に口から台詞が出た。本当に便利に出来ているものだ。
 ちなみに、ミュージカルは「星の王子様」。台本はもちろん一通り読んだし、練習中にも一通り話の内容は掴んだが、正直どこがどうインタレストなのかさっぱり理解できなかった。どうも私は基本的に理詰めで面白さが理解できないものは面白いと感じられないようだ。残念なことだが、まあそのうち、この話の素晴らしさも理解できる日が来るだろう。
 ただ、昔からずっと思ってたことだが、月蝕歌劇団にしても他の演劇にしても、今回のミュージカルにしても、どれもこれも真面目にやっている演劇というものはあまり面白いと思えない。これはどこに自分が躓いているのか良く分からないが、おそらく演劇の性質上、役者が頑張らないといけないことに問題がある気がする。たとえコメディでも役者からは物凄く真剣なオーラが感じられて、それゆえ見ていて笑えないのだ。あと、スピード感とカタルシスの問題も感じるが、語ると長くなるので止めておこう。しかし、間違いなく言えることは、その形式の演劇がこれほどまでに発達し、現代でも多くのファンを獲得しているということは、むしろ私のセンスの方が少数派ということだろう。

 劇の内容は、まあ私にとってはどうでもいい。それよりも殺の作ったが素晴らしく、台本を読んでも右から左に流れ頭に残らなかった場面ですら、神々しく感じられた。彼の才能は素晴らしく花開いていたようだ。この素晴らしい才能を、なんとかクソくだらないことに使いたい。幸い、ギブ&テイクということで、話はまとまりそうだ。
 あと、共演者(つまり殺のクラスメイト)の現代音楽が良かった。後で話し掛けたら「大根を持って踊る人ですよね!」といわれた。殺はクラスメイトに私のことを何と話しているのだろう。

 その後、殺や脚本家の川本氏、観に来てくれた稲田氏と共に、ラーメンを食べて、稲田氏と一緒に途中まで帰った。この面子はすべて同郷で高校時代に(他校にも関わらず)多かれ少なかれ交流があった。稲田氏から、私の妹と稲田氏の妹が同級生だということを聞いた。後で妹に電話してみたら、稲田氏の妹は「すごく身体が柔らかい」ということを教えてくれた。

2003年1月22日
朝:和風カレー

 忙しいので手短に。

 朝カレーを食べて仕事に。仕事の後、武蔵小金井まで行ってミュージカルの練習。明日は本番だ。作曲者であり、監督でもある「泣いても笑っても、明日が本番だ」と緊張の面持ちを隠せないようだが、私は成功しようが失敗しようが、いささかも痛痒ないので、非常に気楽だ。まあ、ムリをしない程度に頑張りたい。

 夕食は殺に松屋唐揚げ丼を奢ってもらった(300円分)。

2003年1月21日
夜:和風カレー

 最近、体調が悪く、寝るのが早いので、従って、比較的早く朝起きることができる。というわけで、遅刻常習犯の私が、珍しく早めに職場に着くと、上司から突然「最悪だ」と言われた。どうも、上司は私が遅刻するのを見越して、私用の作業準備を整えるのを後回しにしていたようだ。別に私としては、仕事をせずに時間が潰せてありがたいのだが、管理者からすると痛手だったに違いない。やはり、遅刻はしちゃだめなんだなあ。

 早めに仕事を終え、7時前に家に帰る。今日はボブ・サップの出る番組が始まるらしく、ちょっと期待していた。夕食を、作り、食べながら、その番組を見る。なお、夕食はカレーと、豚肉・マイタケ・豆腐・もやしを煮て、ぽん酢をかけたものだった。また、その煮汁で味噌汁を作った。マイタケなどキノコ類は、煮てしまうと煮汁に栄養素がほとんど溶け出してしまうため、煮汁を飲まなければ摂取効率が悪いらしい。

 それで、期待していたボブ・サップの番組だが、あるいみ期待を裏切られたしかし、楽しかった笑えた。どう裏切られたかというと、ボブ・サップとアーネスト・ホーストがプロレスをしていたのである。本気で雪辱戦をするのかと思っていたら、ホーストがパイプ椅子でボブ・サップを殴ったりしているのである。いやあ、これは笑った。こないだまで、真剣に殴り合いしていた人たちに、こんなことをさせるなんて。これは一流のジョークとして、笑い飛ばすのが正解だろう。
 しかし、彼らがこんなことをしてるのも、やはりカネなんだろうなあ、と思うと、ちょっと悲しくなったりもする。確かに、K−1と比べればプロレスの方がカネになるだろうし、費用対効率も高いのだろう。特にボブ・サップなど、人気は高いものの、K−1の大会ではあまり上まで行っていない。彼の今の人気ならプロレスラーに転向した方がおそらく儲かるのではないか。しかし、今回のボブ・サップはちょっと演技指導も入りすぎているし、少しキャラクターを安売りした感じは否めない。まあ、ここまではホーストもボブ・サップもファンサービスということで笑っておこう。K−1の大会ではいつも通り頑張って欲しい。

 あと、剣客商売も見ていたが、いかんせん呑みながら、洗濯しながらだったので、著しく集中力に欠け、全然話がわからなかった。ただ、彼らの食事の膳が非常に丈の低いものだということを今日突然再認識した。すると「片肘を突いて食べるのが行儀悪いとされたのは何時の頃からなのだろう」と気になった。あんなに丈が低いと、膳に片肘ついて食べるわけにはいかないから、このマナーが江戸時代からあったわけではない。実はこのマナーが出来たのはつい最近の話なのではないかと思ったのだ。
 それで暫くネットで調べてみたが、具体的に何時頃から成立したマナーかということは分からなかった。ただ、片肘ついて食べるのが悪いマナーなのは、欧米のマナーであり、中国や韓国では、むしろ肘をついたり、机の縁に手を沿えて食べること正式なマナーであるという。逆に韓国人からすれば、左手に食器を持って食べる日本人は行儀が悪いと映るらしい。
 ということは、片肘をつくことタブーとする行儀作法は、おそらく明治以降日本に導入されたのではないだろうか。不可読みすれば「脱亜入欧」思想なども影響してるのかもしれないが、実際のところは良く分からない。
 なお、これを調べている時、次のようなサイトを発見した。
http://www-out.mirai.kome100.ne.jp/CEC/syakai/uturi/edo/id_syokuji.htm
小学校の授業などで、「町民や百姓は質素な食事だったんだよ」と習ってきたが、今見てみると、別に町民の食事を質素に感じない。むしろ、今の私とほぼ同レベルだ。流石に、百姓の食事には勝てたと思うが。
 といっても、別に私は今の食事レベルにそれほど不満があるわけでもないし、江戸時代は野菜とか今よりも美味しかっただろうし、町民もそれなりに満足して食生活を送っていたんじゃないかと思う。今の感覚で「昔は質素だった」とかいうのも、どうかと思った。

2003年1月20日
朝:和風カレー

 2日間遊び呆けたので、足取りの重い月曜日。だから休日に休むのは嫌なんだ。カレーを食べて、仕事へ行く。月曜日になんとか出社する気力が沸くのは、ジャンプが発売するからといっても過言ではない。今週のジャンプはハンターハンターに久しぶりにシズクが出ていて、朝から危険なテンションだった。

 仕事を適当にこなす。最近、どうやら風邪をひいてしまったようで、喉が痛かったり、頭が重かったりする。ここはちょっと栄養つけようかと、昼に何か安いお弁当でも買おうかと思ったが、良く考えたら帰りにスーパーでを買った方が安上がりだし、栄養価は変わらないと考え、結局ガマン。蜜柑ハーブティーで昼を凌いだ。このように、本人の意思とは全く関係無く、日々が強制ダイエット食である。

 帰りにスーパーで買い物。もやし豆腐豚肉やらを買った。お惣菜の野菜コロッケ(半額で50円)がすごく食べたくて、10分ほど迷ったが、なんとか誘惑を振り切った。今日は豚肉という高級品を買ったのだ。さらにコロッケだなんて、そんな贅沢をする訳にはいかない。どうも実家に帰ったとき裕福な食生活を送りすぎたせいで、ついつい東京に戻ってからも贅沢三昧しそうになる。いい加減、生活を引き締めねば。

 夕食には豚汁を作った。もやし、豆腐、卵、たまねぎ、マイタケ、そして豚肉さまを入れた。食べながら、レンタルDVDの「ラン・ローラ・ラン」を見た。感動して涙が止まらないとか、心の一作とか、そんな素晴らしいものではなかったが、それなりに良かった。ただ、終盤でDVDがフリーズしてしまい、それがまた演出上止まってもおかしくないシーンだったので、「こんなに長い間画面を停止させるなんて、思い切った手法を取るぜ」と感心しながら十数分停止した画面を見続けた自分が情けない。

2003年1月19日
朝:和風カレー

 待ち人、来ず。

 普段、どちらかというと平日に働き土日に休む人である私が、今日仕事を休んだのは、ひとえに今住んでいるアパートに工事が来るからだ。どうも、いまのアパートにケーブルテレビが通うらしく、私の部屋は今日の昼頃工事の人が来ることになっていた。部屋内工事のため、本人の在宅が必須らしく、私は家から一歩も出ることなく、この時間まで工事の人を待っていたのだが、結局工事の人は現れなかった。・・・・・・何なんだ??

 それで、今日私が何をしていたかというと、まず朝起きて仮面ライダー龍騎最終回を見た。結局、龍騎ではライダーたちは蓮以外何一つ思うことを為し得ず全滅。どうして吾郎ちゃんがゾルダに変身できたんだとか、いろいろ疑問はあるが、まあいいや。あと、ギャラクシーエンジェルも素晴らしく面白かった。特に前半。

 その後、カレーを食べ、借りてきた「死霊のえじき」を見る。「死霊のえじき」なんて聞くと、全編残酷描写の知能指数低そうなスプラッタームービーとしか思えないが、これは明らかに邦題が酷すぎる。原題は「DAY OF THE DEAD」ジョージ・A・ロメロゾンビ映画三部作のラストで、三部作は「NIGHT OF THE LIVINGDEAD」「DAWN OF THE DEAD」と続き、本作の「DAY OF THE DEAD」へと至る。NIGHT(夜)→DAWN(夜明け)→DAY(日中)と、時間が経つにつれ(作品が進むにつれ)、ゾンビの数が増えていく。ゾンビの数が増えるというのは作中にたくさんゾンビが出るようになる、という意味ではなく、設定上の話で、NIGHTの頃は生きている人間の方がまだ多く、人々はパニックに陥りながらもまだ余裕があった。しかし、DAYに至っては生きている人間が10名程度しか出てこず、他はゾンビしかいない。作中で語られた数字によれば、生存者1名に対しゾンビの比率は40万人ということらしい。
 閑話休題。とにかく、「死霊のえじき」なんていうと、すごく頭悪そうだが、実際そんな単純な作品ではない。作品にこめられたテーマ云々は置いておくとしても、この映画は単に怪物がやってきて、バコーンバコーン倒したりするだけの映画ではないのだ。
 ゾンビ三部作に共通していえることは、ゾンビが弱いことだ。これは重要である。ゾンビは動きが遅いため、1対1で武器があれば人間はまず負けない。だから、冷静に対処すれば、危機の根本的回避は難しくても、急場を凌ぎ、小康状態を得ることは出来る。NIGHTでは家の中で篭城し、DAWNではスーパーマーケットを要塞化する。そしてDAYでは地下シェルターに閉じこもり、必要に応じてゾンビを狩っては研究者がその生態を調査する。相手が弱いから、こちらも対抗策を取れるのだ。これが相手がジェイソンだと戦うか、逃げるか、殺されるしかない。もちろん1対1で勝てるといっても、群れのゾンビ相手では少数の人間は勝てない。全体的に見れば危機的状態である世界を限られた手札でどう打開するか、そのアイデアがゾンビ三部作の最も面白いところだと思う。
 それで、DAYだが、今作ではマッドサイエンティストゾンビを飼い馴らそうとする。そして、1体のゾンビに対して「飼い馴らし」はある程度の成功をおさめるが、科学者チームに反発する軍人チームによってサイエンティストは殺される。まあ、死んだ軍人の肉をゾンビの餌付けに利用したりしてるからなのだけど。
 結局、シェルター内は軍人チームと科学者チームの内紛が起こり、その騒乱で比較的防御の整っていたシェルターにはゾンビが入り込んでしまい、安寧の地を失ってしまう。ロメロ監督のゾンビ作品はこれまでもそうだったように、ゾンビは「危機」としての記号的存在に過ぎず、ゾンビの危機を背景に、描かれるのは人間たちである。
 しかし、今作はDAWNに比べれば、アイデアが希薄であると思うし、NIGHTに比べても人間の掘り下げがあまり為されていないと思う。状況打開策である「ゾンビ飼い馴らし」にしても、40万体いるゾンビに対し1体飼い馴らしたからってどうなるというんだ、と見ている方が首を傾げたくなるものだ(だからこのサイエンティストはマッドなのだけど)。DAWNでスーパーマーケット内のゾンビを一掃し、出入り口を完全に封鎖。物資に富んだスーパーマーケットを要塞化し、身の安全を確保していく合理的行動に比べ、この「飼い馴らし」は、見ていて気が抜ける。「飼い馴らし」がイマイチ溜飲できないため、崩壊に至っても、それほどの衝撃は無い。DAWNでゾンビに対して完全な要塞であったスーパーマーケットが、ゾンビではなく同じ人間の暴徒により崩壊する衝撃には遠く及ばなかった。
 というわけで結論としては、DAYはそれなりに良く出来ているし、バリエーション豊かなゾンビも見ていて楽しいけど(ピエロゾンビとか、花嫁ゾンビとか)、DAWNの神々しいまでの完成度には及ばない、といったところか。ちなみに、この作品は血はたくさん出てくるけれど、全くグロいと思うシーンは無かったので、普通の人でも安心して見れると思う(私が見た最終版というのは残酷シーンをかなりカットしたものらしい)。DAWNもそうだけど、ロメロ監督のゾンビはホラーなのにちっとも怖くない。

 あとDQ3をやっていた。夕食には味噌煮込みうどんを食べた。そして本日二本目「ダンジョン&ドラゴン」を見ることに。
 この作品の評価は私が聴いた限りでは「監督のD&Dに対する愛情が深すぎ、一般人についていけない」というものだった。幸い私はD&Dに対して全くの無知というわけでもない(といってもカプコンのゲーム「D&D」をやっただけなのだが)。少なくとも映像は素晴らしいようだし、そこそこ楽しめるんじゃないか・・・と、期待していたのだが・・・。

 なるほど。世間から駄作といわれる訳が非常に良く分かった。この作品はストーリーが根本的に破綻しているのだ。映像の素晴らしさ(そんなに素晴らしくも無かったけど)だけでは、2時間も集中できないものだと分かった。映画ファイナルファンタジーも見るのはやめよう。
 その破綻しきったストーリーを説明すると、

(オープニング)
「イズメール王国は、<メイジ>(魔法使い)という貴族階級が支配する国であった。が、女王は、平民と貴族とが平等な国を目指していた。だが、プロフィ オン(悪の宰相)は、密かに王国支配の野望を抱いていたのであった」

 ということで、悪の宰相女王から彼女の軍事力であるを取り上げようとする。杖にはドラゴン(たぶんグリーンドラゴン)を操る力があるのだ。それで女王側は「杖を取り上げられる前に、レッドドラゴンを操る最強の杖を手に入れよう」という話になり、成り行きでこそ泥2名見習い魔術師浮浪者のドワーフがパーティーを組んで、杖を捜しに行く話

 しかし、この冒険が見事なまでに見ている者を置き去りにしていて

観客の知らない間に「まずはドラゴンの瞳を手に入れるんだ」と言い出し
                      ↓
遊園地みたいなダンジョンでドラゴンの瞳を入手
                      ↓
・エルフから「ドラゴンを殺せば自然が崩れてしまう。」といわれ、頷く主人公達(つまり、戦争に使うなということ。じゃあ、杖探す意味無いじゃん!
                      ↓
・主人公達、エルフの話を気にもせず、杖探し再開(ええっ!?)
                      ↓
・ダンジョンにて(何の苦労も無く)杖を入手。
                      ↓
・と、思ったら出てきたところで敵に杖を奪われる。
                      ↓
・その頃、女王は杖を取り上げようとする宰相と評議会に対し、宣戦布告。手持ちの杖を用いて、グリーンドラゴンを操り、懸命に戦う宰相や評議会をドラゴンの圧倒的戦力で攻撃(女王強すぎ!レッドドラゴンの杖いらないじゃん!手持ちの杖で十分!)
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・主人公達からレッドドラゴンの杖を奪い取った敵の腹心が、宰相にレッドドラゴンの杖を届ける。宰相はレッドドラゴンの杖を使い、レッドドラゴンを操り、グリーンドラゴンを倒す(主人公達がレッドドラゴンの杖を探したりしなければ、女王の圧倒的勝利で終わってたんじゃ・・・
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・主人公、宰相と直接対決。こそ泥のスキルを活かし、宰相からレッドドラゴンの杖を奪い返すが、それを使用せず叩き壊す(お前は結局何をしたくて杖を取りに行ったんだ!?)
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・レッドドラゴンを操れなくなった宰相は女王のグリーンドラゴンにモグモグと食べられて、王国に平和が戻りましたとさ。(やっぱり、主人公が杖さえ探さなければ、戦況は圧倒的だったらしい

 と、このように、主題の「レッドドラゴンの杖探し」全くもって無意味なのである。女王と宰相の戦争の間、主人公達が遠くからボケーと見ていれば、この戦争は女王の圧倒的勝利に終わったであろう。杖なんて、相手に奪われて不利になってるだけで、杖の存在価値は全く無い。つまり存在価値の無い杖を探しに行く、このお話自体が一体何のために描かれたのか、その時点で理解できないのだ。
 しかし、私はTRPGとしてのD&Dに触れたことが無い。もしかして、TRPGとしてD&Dをやりこんでいる人なら、この訳の分からないシナリオも溜飲できるのかもしれない。TRPGはダイスの目によって色々な事が決まるという。だから、ダイスの目次第では、この作品のように、杖を取ってきたけど全然意味なくて最後叩き壊すだけ、といったシナリオになるのかもしれない。その意味では、この作品はもしかして「やってる人には」すごくリアリティがあり、「D&Dを愛していれば」楽しめるのかもしれない。というわけで、私はD&Dに対する愛が足りなかったので楽しめなかった、と納得することにしたい。・・・きっと違うだろうけど。
(しかし、シーフの主人公が忍び込んだ先で甲高い声を上げたりするのは酷く緊張感が無いし、せっかく出てきたビホルダーが何もしないのは、D&D好きな人にはどうなんだろう。)

2003年1月18日
朝:和風カレー

 今日はに付き合ってミュージカルの練習。しかし、殺から連絡が無い。昨日の夜こちらからかけてみたときは電話が通じなかった。まあ、殺のことだから当日の早朝、日時と場所を伝えてくるんだろうと思い、寝て待機。いちおう起きて食べてすぐに動けるよう、コメだけは炊いておく。
 ということで、布団でぐずぐずしていたら10時ごろ殺から電話。おお、来た来た。しかし、向こうの声は何だか焦ってる。
殺「架神さん、何やってんですか!?今日、9時か10時からやるっていったじゃないですか!」
 ・・・確かに、それは聞いていましたけど。・・・貴方、私に「9時か10時」なんていうアバウトな時間指定で動けといいますか。むう。
 結局、この日は練習には間に合わないので諦めることに。ああぁ、せっかく仕事まで休んだのに。まあ、いいや。一日だらだら出来ることになって嬉しい。

 さあ何をしようかと考え、とりあえずカレーを食べる。とりあえずカレーを食べる一日というのもどうかと思うが、まあいいや。コメもせっかく炊いたことだし。
 その後、TSUTAYA亀有店へ。今日明日はTSUTAYAでビデオレンタルが100円なのだ。本当は練習の帰りに新宿店に寄ろうと思っていたが、流石にそのためだけに新宿まで行く気にはなれない。品数は落ちるが、亀有店で妥協しよう。利用者数が少ないから、新作も残っている可能性があるし。

 TSUTAYAで一通り物色した後、結局、サムライミ監督「スパイダーマン」「新・死霊のはらわた」、監督がD&Dを愛しすぎていて一般人が見てもついていけないと評判な「ダンジョン&ドラゴン」、ちょっと気になっていた「ランローララン」、そしてジョージ・A・ロメロゾンビ三部作「DAY OF THE LIVING DEAD」をレンタルした。振り返り見ると、今回は全くアニメを借りていない。我ながらどうしたことか。

 帰りに寿司でも買おうかと思い、例の500円引き券を使い300円で寿司を購入。家に帰ってジャンプ感想を書いていたら、そのうちお腹が空いてきた。
 ざる蕎麦を簡単に作り、寿司蕎麦を呑みながら「スパイダーマン」を見た。肴も寿司に蕎麦と好きなものだったし、昔はカウチポテト族だったので、この時間が幸せで幸せでしょうがなかった。一生、こんな感じで暮らしていきたい。
 スパイダーマンは大金を投じたくせに、ものすごくB級テイストで期待通りだった。敵のグリーンゴブリンマスクの造形センスが、何も考えてない感じで良かった。
 その後、久しぶりにドラクエ3をやった。DRAKANはビデオカードのドライバを最新のものにしてもなお動かなかったので、かなり諦め気分。口惜しいなあ。

2003年1月17日
夜:和風カレー

 朝ごはんを食べて仕事へ。がんばった。毎日精力的に動いているので、肉体と精神の疲労著しい。明日はミュージカルの練習か…。ああ、嫌だ。家から出たくない。廃人同様の生活をしていた正月の反動があると危惧していたが、予想通りのダメっぷりだ。日曜こそは、家の中でだらだらと過ごしたい。

 仕事の帰りに上野アメ横へ。着いたのは7時ごろだったが、ほとんど閉まりかけていた。こんなに早く閉まるとは誤算だったが、だが目当ての香辛料は買うことが出来た。しかし、ペパーミントだけはホールでしかなく、これは自分でスパイス化しなくてはならないようだ。

 今日はペパーミントのカレーを作ろうと思っていたが、家に帰ったのが9時。とても、この時間からペパーミントをローストしたりする気にはなれない。なので、簡単にカレーを作ることに。今日は以前からやってみたかった和風カレーに挑戦。
 熱湯に、昆布・たまねぎ・豚肉・マイタケ・だしの素・唐辛子を加え1時間程煮た後、味噌を加え、そこにとろけるカレーを溶かし入れる。最後に醤油で味を締めて完成。蕎麦屋のカレー蕎麦のつゆからカレーを作るというし、味噌隠し味に使うのはカレー界では常識だ。まあ、まずいものにはならないだろう。

 味は和風云々以前に、ただただ辛かった。唐辛子を入れすぎたようだ。昆布や味噌は、一口運んだときに多少和を感じたくらいで、その後はたいして意識することなく普通のカレーだった。むしろ辛かった。とにかく辛かった。味噌が少なかったのかもしれないが、もう少し何かしないと特色は出せない。

 食べながら映画「シックス・センス」を見た。これは上映当時から「ラストにビックリした」と周りのほとんどの人間がいっていてとても気になっていたが、なるほどビックリした。面白かった。しかし、シックス・センスは良い映画だったが、いかんせん辛気臭い。何かもっとパーッと気分晴れやかなよく出来た映画が見たいなあ。

2003年1月16日
夜:洋風カレー(インスタント)

 昨日の夜、SSカルドセプトをクリアした。まあ、このゲームにおいて一人用シナリオはチュートリアルのようなもの。この後が、問題だ。
 カルドセプトはこの後もじっくり遊ぶことが出来る。ただし、対戦をするという前提ならば、だ。カルドセプトをSSで対戦する場合、ソフトは私が貸すとしても、拡張ROMカートリッジを抜き差ししなければならないという致命的な問題がある。サターンの拡張ROMカートリッジ部分のボロさは有名で、「差したら抜くな」といわれているくらいだ。何度も抜き差しを繰り返さなければいけないカルドセプトは現実的に対戦不可能に近い

 今日の朝はざるそばお茶漬けを食べた。ざるそばとお茶漬けなんて食べていたら、が呑みたくなった。朝から酒というのもどうかと思うが、そばを食べていると酒が呑みたくなるのは仕方無い。というわけで、朝から日本酒を呑むことに。やはり、日本酒と蕎麦は相性が良く、非常に幸せだった。今日はこのまま家でまったりゲームでもして過ごしたいところだが、そういうわけにもいかない。

 新宿のスタジオ(バンドの練習)に行く。スタジオ後、次のライブで何をやるか、皆で話し合う。いつもこれが長い。しかし、時間を掛けただけあって、何だかすごいことをすることになった。実際にやる私たちも大変だが、ライブハウスとか、他もいろいろと迷惑だろうなあ。だが仕方無い。だって私たちはパンクロッカーだから。
 終わった頃には夜の8時。今日は上野アメ横ペパーミントを買って、ペパーミントカレーに挑戦しようと思っていたのに。諦めてモアゲームする。ヴァンパイアセイヴァーは1回やったけどあっさり負けた。その後、エスプレイドをやった。5面の五行覚士でゲームオーバー。4面で1UP取り逃さなければガラ婦人まで行けただろうに、残念。
 あと、斑鳩を始めてやってみた。やってみると意外となんとかなるもので、とりあえず2面までは行けた。しかし、このゲームはやはり家でじっくりとやりたい。アーケードだと、パターン作成とかそういう高尚なことを考えるゆとりがない。

 家に帰ってお風呂に入った後、インスタントのカレーを食べる。インスタントらしい味わいだった。先日コメが親から送られてきて、コメだけはたらふくあるので、カレーの後、玉子味噌汁で、さらにコメを食べた。コメは美味しいなあ。コメだけでゴハン2杯はいけそうだ。

 振り返ってみると、せっかくの休日なのに、遊んだのはモアでゲームした30分程だけだ。仮にもゲーマーと呼ばれる人種である私が一日に30分しかゲームをしていない。休日にも関わらずだ。なんということだ。今日一日の生産的行動に悔いは全く無いが、遊べなかったのはやはり悲しい。
 休日に遊べないというのは、いろんなことを横に置いておいて、やはり悲しいものだ。普通の人の感覚ではバンドは遊びだろうが、私にとってはそうではない。もちろん「オレは本気でプロ目指しているから」とか、そんなつもりでいってるわけではない。音楽のプロになるくらいなら、私はむしろ矢追純一になりたい。そうではなく、バンドはカネに結びつく、生産的行為だから遊びではないのだ。
 私の中の定義では、生産的行為=仕事、消費的行為=遊び、である。つまり、純粋に私が遊びだと感じるのは、(レビューとか書くことを考えずに)マンガや小説を読んでいる時か、ゲームしてるときか、それくらいだ。他は全て仕事に分類されてしまう。今書いてる日記だってそうだ。
 確かにバンド活動等には、生産に関わる喜びや、やり遂げた時の達成感などがあるが、それ以上に、肉体的・精神的疲労、ストレス、プレッシャー、などが大きい。2年程前までは喜びの方が疲労を感じないほど大きかったのだが、今では疲労の方が強い(これが歳を取るということなのか)。産みの苦しみも考慮すれば、生産の喜びよりも消費する楽しみの方が単純に大きい、ということを最近やっと認めるようになった。
 にも関わらず、現在もこうして精力的にバンド活動やHP製作を行っているのは、ひとえにカネのためである。カネになる可能性があるから動けるのであって、だからカネにならないことには、どうにも精神力が付いてこない。
 結局、生きていくためには最低限のカネが必要であり、カネを作るには会社で働くか、会社以外で何か作るしかない。前者は効率は良いが、これでは死ぬまで働かなければならない。後者は効率は悪いが、何かの間違いで早々に労働から逃れることが出来るかもしれない。私は今を生きるために会社で働き、望みを託して物を作っている。しかし、物を作るためには会社を休まなければならない。というわけで、私は人よりはるかに多く仕事を休んでいるが、私自身としては、別にそんなにすごく楽なわけでもない。朝から晩までゲームしたりする日を作ってはいるが、そんなのは週に1日か2日だから、実際は週休2日みたいなものだ。
 話がずいぶん逸れたが何がいいたいかというと、今日のような久しぶりの休み(4日ぶり)にバンドだけで一日が潰れると、仕方無いと思う反面、ほとんど遊んでいない(休んでいない)という辛い現実にガックリする。そういうわけで、バンドメンバーがメッセンジャーとかでミーティングを持ち込んだときに、私が「今からゲームするからダメ」と断っても、それは精神保全上のことなので諒解してください。
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