2002年11月14日
夜:ライブDEチキンカレー
まずは昨日の話を少し。一日時間があるからと、藤宮気胸シールなど作らなくてもいいものまで作っていたらすっかり時間がなくなってしまい、結局寝たのは4時ごろだった。何と計画性に欠けることか。
朝。比較的早く起き、コメとかつおぶしと味噌汁を食べる。一汁一菜というやつか。そのあと、お風呂に入ったり、お腹にシズクとお揃いのクモのタトゥーシール(手製)を貼ったりした。
その後、荷物をまとめて家を出る。炊飯器やらフライパンやら鍋やら食材やらで荷物は悪い冗談のような重さで、玄関から自転車置き場まで運ぶだけで息が切れたほどだ。普通に持っていたら腕がピクピクと震えてくるので、柔道で言うところの肩車、レスリングで言うところの飛行機投げの姿勢で運んだ。傍から見れば私がアーティストだと思う人間などいないだろう。何かの苦役に就いているのか、人類の原罪を一身に背負っているのか、マゾなのか、罰ゲームなのか、といったとこだろう。ライブハウスに着く頃には、朦朧としてゴルゴダの丘が見えてきた。
ライブはワンマンだったので、ゆっくりまったり準備できるかと思ったが、そんなことも全然なく物凄く慌しかった。しかし、リハはワンマンにも関わらず、普段と同じ程度の時間で終わった。我ながら、どういうバンドだ。
ライブ本番。約30人分のカレーを作る。思った以上にたまねぎを炒めるのに時間が掛かり、用意していた1時間を大幅にオーバー。かなり焦ってたまねぎ炒めを不完全なまま先に進めてしまった。その後もほとんど味見できないまま客にお出しすることに。少し口に含んだ限りではいつもと全然違う舌触りだった。お客さんからは「粉っぽい」などと言われてしまった。
時間に追われ、ほとんど味見できなかったのは痛かったが、しかしいつもと同じ方法で作っているのに、どうしていつもと違う味になってしまったのだろう。不思議だ、困った。まさかこんな大勢の前で今日に限ってカレーを失敗するだなんて。まだ人前でカレーを作るには時期尚早だったかもしれない。
思えば、私は周りから「カレー王子」「カレー王子」と持て囃され、カレー天狗になっていたのだろう。実際の私は、まだ一流を編み出した訳でもなければ、一城(カレー屋)を構えた訳でもない。たかだか二百数十日カレーを食い続けただけの一介のカレー者に過ぎないのだ。今回のカレーライブは失敗ではあった。多くのお客様の前で恥をかいてしまった。だが、それも良い経験かも知れない(お客様には迷惑な話だが)。失敗は若いうちにしておくべきだ。高くなった鼻は早くへし折られた方がいい。今回の失敗を契機に、私は初心にかえってカレーを作ろうと誓った。
カレーの後は、おまけの音楽。今回は藤宮君が抜けてボロボロになるであろう音楽をどうカバーするかが最大の焦点であった。そこで私たちの出した結論は「ライブ中に酔いつぶれて全てをお茶に濁す」というものだった。酔いつぶれてお茶に濁すというのは、これはある意味厳しい現実からの逃避かもしれない。だが、私達の逃避は全力での逃避だ。全ての力を傾注した逃避は、それは既に逃避ではなく、むしろ攻めであろう。よく分からないが、私は脳内でこういう理屈を組み立て、自分を納得させることに成功した。
というわけでステージでがぶがぶと安酒を煽った。しかし、とはいっても私も既にかなりの酒を愉しんでいる人間である。どの程度呑めば酔いつぶれるのか、限度は分かっている。吐かずに酩酊するギリギリのレベルまで酒を入れ、酔いに任せて演技する。ステージ上では大体理性は8割程残っていた。楽屋では理性は4割ほど。ライブハウスを出た時点では2割程度に減っていた。が、ここまでは何とか前後のことも思い出せるし、理解できる。
ライブハウスを出た時点で、こりゃ綾瀬に帰るまでは絶対に持たない、と思い、あらかじめ頼んであったみっきーに家まで連れて帰ってもらった、という記憶がなんとなくある。確か、常に「オーケー、オーケー」と口走っていた気がするが、一体何がオーケーだったのだろうか。少なくとも私はオーケーではなかった。
どうやら電車代はみっきーに立て替えてもらったらしい。備忘のため、みっきーに電車代320円を返すことをここに記しておきたい。
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